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2022年1月6日

理化学研究所
マックスプランク研究所
ドイツ標準研究所

反物質と太陽の重力相互作用

-1兆分の16の精度を持った時計と反時計の比較-

理化学研究所(理研)開拓研究本部Ulmer基本的対称性研究室のステファン・ウルマー主任研究員、クリスティアン・スモーラ客員研究員、山崎泰規客員主管研究員、マックスプランク研究所のクラウス・ブラウムディレクター、ドイツ標準研究所のマティアス・ボルシェー研究員らの国際共同研究グループ「BASE実験グループ」は、陽子と反陽子[1]の質量電荷比(質量/電荷)をそれぞれ測定し、1兆分の16という超々高精度で両者が一致していること、さらにアインシュタインの「弱い等価原理[2]」が3%の精度で成立していることを明らかにしました。

本研究成果は、反物質を含む弱い等価原理の研究に新しく強力な研究手段を提供するもので、質量電荷比の測定精度の向上とともに、弱い等価原理をより厳密に検証できるのに加え、「なぜ現在の宇宙から反物質が消えてしまったか」という、現代物理学最大の謎を解明していくための第一歩にもなると期待できます。

今回、BASE実験グループは、極低温に冷却した反陽子、および、陽子と2個の電子が結合した負の水素イオンのサイクロトロン周波数[3]を1年半にわたって超高精度で測定しました。サイクロトロン周波数は粒子の質量電荷比に反比例することから、陽子と反陽子の質量電荷比を比較でき、1兆分の16という従来の約4倍の精度で一致していることが分かりました。また、太陽重力は季節によって数%変化するため、陽子と反陽子の質量電荷比を異なった季節に測定することで、陽子と太陽の重力相互作用と反陽子と太陽の重力相互作用に違いがあるかを直接調べることができます。測定の結果、弱い等価原理が3%の精度で成立していることが初めて明らかになりました。

本研究は、科学雑誌『Nature』(2022年1月5日付:日本時間1月6日)に掲載されます。

背景

素粒子物理の標準理論[4]では、約138億年前に起きたビッグバンの際に粒子と反粒子[1]が対で生成され、その後、消滅する際にも粒子と反粒子がやはり対で消えることが知られています。従って、宇宙には物質と反物質[1]が等量存在するはずですが、現在の宇宙には物質だけが残っており、反物質はどこにも見当たりません。この「なぜ宇宙から反物質が消えてしまったのか」という問題は、暗黒物質(ダークマター)[5]暗黒エネルギー(ダークエネルギー)[6]などと並ぶ、現代物理学最大の謎の一つです。

さらに、自然界には電磁的相互作用、弱い相互作用、強い相互作用、重力相互作用という四つの力が存在することが知られていますが、標準理論には重力相互作用が含まれておらず、四つ全てを含んだ究極の量子理論はまだありません。これまでのところ、物質間の重力相互作用は詳しく研究されていますが、物質と反物質間の重力相互作用を直接測定した例はなく、現在三つの研究グループが反水素原子(反陽子と陽電子からなる)と地球の重力相互作用を測定するため、反水素原子の自由落下実験の準備を進めています。

理研のUlmer基本的対称性研究室を中心とするBASE実験グループは、陽子と反陽子(陽子の反粒子)の性質を高精度で比較する研究を進めてきました。標準理論ではCPT対称性[7]が保存されていることから、陽子と対になる反陽子の性質を示す質量や質量電荷比(質量/電荷)、磁気モーメントの値は正確に一致するはずです。従って、両者の値にわずかでも違いが観測されれば、それは「CPT対称性の破れ」を発見したことになり、新しい物理学の幕開けとなります。BASE実験グループは既に、陽子と反陽子の質量電荷比を1兆分の69の精度で測定することに成功しています注1-2)

研究手法と成果

BASE実験グループはまず、陽子と反陽子の質量電荷比を超高精度で調べるために、反陽子、および陽子(p)に電子(e)が2個結合した負の水素イオン(H-=pe-e-)の二つを極低温で同じ電位配置のペニングトラップ[8]に捕捉し、それぞれのサイクロトロン周波数を測定しました。サイクロトロン周波数は、粒子の質量電荷比に反比例します。そのため、反陽子の質量電荷比は測定したサイクロトロン周波数から直接、一方、陽子の質量電荷比は負の水素イオンの質量電荷比から、電子2個分の質量や束縛エネルギー、分極効果を補正することで求めることができます。

測定精度を上げるため、反陽子と負の水素イオンそれぞれのサイクロトロン周波数をセットで測定し、それを繰り返しました。測定回数を増やすために、1セットの測定時間を従来の40分の1の260秒まで短縮し、これを2万4000回繰り返しました。1年半にわたる測定の結果、陽子と反陽子の質量電荷比が1兆分の16の精度で一致することが分かりました。これは、BASE実験グループが2015年に達成した世界記録を約4倍上回る最高精度です。

サイクロトロン運動の回転数を測定することで時計ができます。陽子のサイクロトロン周波数測定で通常の時計が、反陽子のサイクロトロン周波数測定で「反時計」ができることになります。

地球は太陽の周りを楕円軌道で回っているため(下図b)、太陽から地球までの距離は季節によって変化します。従って、地上の物質が太陽から受ける重力エネルギー(太陽重力)も季節によって数%変化します(下図a)。一般相対性理論[9]によれば、重力エネルギーが変わると時計の進み方も変わることから、陽子を用いた時計と反陽子を用いた反時計の動きを比べることで、弱い等価原理が成り立っているかを検証できます。

そこで、BASE実験グループでは、水素イオンつまり陽子のサイクロトロン周波数を測定する時計と反陽子のサイクロトロン周波数を測定する反時計の進み方を異なる季節に観察し、物質(水素イオン)-物質(太陽)間の重力相互作用と反物質(反陽子)-物質(太陽)間の重力相互作用に違いがあるかを調べました。天の川銀河からの重力や地球からの重力は季節で変化しないので、この方法によって、太陽による重力相互作用の効果だけを曖昧さなく取り出すことができます。測定の結果、物質-物質間および反物質-物質間の重力相互作用が3%の精度で同じであること、すなわち弱い等価原理が3%の精度で成立することが初めて明らかになりました。

太陽を周回する地球の軌道の図

図 太陽を周回する地球の軌道

  • (a)周回に伴う重力エネルギーの相対的変化。黄点は測定した時期を示す。季節によって重力エネルギーが変化している。
  • (b)地球の周回軌道の模式図。青色で陰影をつけた部分と黄点は、測定した時期に対応する。

今後の期待

BASE実験グループは、陽子や反陽子をさらに冷却する全く新しい技術注3)や、反陽子を容器に入れ、電磁的なノイズの小さい環境へ輸送する技術を開発しています。これらを組み合わせることで、質量電荷比や磁気モーメントの測定精度が飛躍的に向上します。ひいては、この宇宙にはなぜ物質しか残されていないのかという大きな謎の解明にもつながると期待できます。

今回初めて実現した物質-反物質間の重力相互作用の測定についても、さらに高精度な測定が可能になります。重力相互作用について本研究で得られた3%の精度は、他の三つの研究グループで進めている、反水素原子を自由落下させて反物質-物質間の重力相互作用を測定しようとする研究が目指す精度と同程度になっており、相補的な研究であるといえます。もし、今回の結果が、反水素原子の自由落下実験を進めている他の三つの研究グループの結果と違うようなことがあれば、全く新しい物理の幕開けにつながります。

補足説明

  • 1.反陽子、反粒子、反物質
    「反粒子」は粒子と同じ性質を持つが、電荷と磁気モーメントの符号は反対である。例えば、負の電荷を持つ電子の反粒子は正の電荷を持つ陽電子であり、正の電荷を持つ陽子の反粒子は負の電荷を持つ「反陽子」である。粒子と対をなす反粒子が出合うと消滅する。陽電子と反陽子は、一番単純な反物質の原子である反水素を形成する。「反物質」は反粒子からできている物質。
  • 2.弱い等価原理
    重力が働いている下での粒子の運動は、運動開始時の粒子の位置と速度のみで決まり、粒子の種類や質量によらないという原理。これまでさまざまな物質間の実験がなされ、高精度で確認されてきた。しかし、反物質と物質間で弱い等価原理が成り立つかを実験的に曖昧さなく確かめることはできなかった。本研究は、反陽子と陽子のサイクロトロン周波数を太陽重力が異なる季節に測定することで弱い等価原理を確かめたものである。
  • 3.サイクロトロン運動、サイクロトロン周波数
    磁場B中にある電荷q、質量mの荷電粒子は磁場と垂直面内で円運動をし、これをサイクロトロン運動と呼ぶ。単位時間当たりの回転数をサイクロトロン周波数といい、qB/2πmである。すなわち、サイクロトロン周波数は質量電荷比(m/q)に反比例する。
  • 4.素粒子物理の標準理論
    重力を除く素粒子間の基本的な相互作用についての理論であり、現代物理学を基礎づけている。しかし、宇宙の物質-反物質非対称性は標準理論では説明できないことから、標準理論を超える理論の構築が精力的に進められている。標準理論はCPT対称性を保証するため、実験的にはCPT対称性の破れる現象を発見することで、標準理論をどのように書き換えるかの情報が得られることになる。
  • 5.暗黒物質(ダークマター)
    質量は持つが、原子などの通常の物質とは異なり、光では直接観測できない正体不明の物質。宇宙にある通常の物質の全質量の約5倍存在する。
  • 6.暗黒エネルギー(ダークエネルギー)
    現在の宇宙の加速膨張を引き起こしている謎のエネルギー。通常の物質と異なり、暗黒エネルギーが存在すると負の圧力が生じ、宇宙を加速的に膨張させる。
  • 7.CPT対称性
    物理学において最も基本的と考えられている対称性で、標準理論の枠組みでは保存されている。荷電共役変換(C)、空間反転変換(P)、時間反転変換(T)の三つの変換を同時に行う操作に対応する。陽子と反陽子の振る舞いに違いが見つかれば、CPT対称性が破れていることになる。
  • 8.ペニングトラップ
    磁場は荷電粒子を磁場の周りに巻きつけ(サイクロトロン運動をさせ)、磁場と垂直方向に荷電粒子を閉じ込めることができる。一方、荷電粒子は磁場の方向には移動できるため、磁場方向に電位の谷をつくり、磁場方向の運動を制限することで、荷電粒子を3次元的に閉じ込めることができる。このように電場と磁場を配置した装置をペニングトラップと呼び、荷電粒子の質量や磁気モーメントの高精度測定に用いられる。
  • 9.一般相対性理論
    アルバート・アインシュタインが1915年に提唱した物理学の基礎理論で、慣性力と重力は区別できないという等価原理や物理法則が座標系によらないという一般相対性原理を基に導かれた古典論。一般相対性理論は、最近大きな話題になっているブラックホールや重力波の存在、膨張宇宙など、当初アインシュタインも考えていなかったさまざまな物理現象を予言し、実際に宇宙観測からそれらが確認されてきた。

国際共同研究グループ「BASE実験グループ」

理化学研究所 開拓研究本部 Ulmer基本的対称性研究室
主任研究員 ステファン・ウルマー(Stefan Ulmer)
(欧州原子核研究機構(スイス) 研究員)
客員研究員 クリスティアン・スモーラ(Christian Smorra)
(マインツ大学 研究員)
客員研究員 ジャック・デヴリン(Jack A. Devlin)
(欧州原子核研究機構 研究員)
客員主管研究員 山崎 泰規(やまざき やすのり)

マックスプランク核物理学研究所(ドイツ)
ディレクター クラウス・ブラウム(Klaus Blaum)

ドイツ標準研究所
研究員 マティアス・ボルシェー(Matthias J. Borchert)

ドイツ重イオン研究所
研究員 ウォルフガング・クイント(Wolfgang Quint)

マインツ大学(ドイツ)
教授 ヨッヘン・ヴァルツ(Jochen Walz)

ハノーバー大学(ドイツ)
教授 クリスチャン・オスペルカウス(Christian Ospelkaus)
(ドイツ標準研究所 研究員)

東京大学 大学院総合文化研究科 相関基礎科学専攻
教授 松田 恭幸(まつだ やすゆき)

研究支援

本研究は、RIKEN Pioneering Project「Extreme precision to Explore fundamental physics with Exotic particles(領域代表者:香取秀俊)」、Max Planck-RIKEN-PTB-Center for Time, Constants, and Fundamental Symmetries(理研側代表:Stefan Ulmer、Max Planck側代表:Klaus Blaum、PTB側代表:Joachim Ullrich)、ドイツ研究振興協会(DFG)、欧州連合研究イノベーションプログラムHorizon2020、欧州原子核研究機構(CERN)のAD(反陽子減速器)チームによる支援を受けて行われました。

原論文情報

  • M. J. Borchert, J. A. Devlin, S. E. Erlewein, M. Fleck, J. A. Harrington, T. Higuchi, B. Latacz, F. Voelksen, E. Wursten, F. Abbass, M. Bohman, A.Mooser, D. Popper, M. Wiesinger, C. Will, K. Blaum, Y. Matsuda, C. Ospelkaus, W. Quint, J. Walz, Y. Yamazaki, C. Smorra, and S. Ulmer, "A 16-parts-per-trillion measurement of the antiproton-to-proton charge–mass ratio", Nature, 10.1038/s41586-021-04203-w

発表者

理化学研究所
開拓研究本部 Ulmer基本的対称性研究室
主任研究員 ステファン・ウルマー(Stefan Ulmer)
客員研究員 クリスティアン・スモーラ(Christian Smorra)
客員主管研究員 山崎 泰規(やまざき やすのり)

ステファン・ウルマー主任研究員の写真 ステファン・ウルマー

マックスプランク核物理学研究所
ディレクター クラウス・ブラウム(Klaus Blaum)

ドイツ標準研究所
研究員 マティアス・ボルシェー(Matthias J. Borchert)

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
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