2025年6月20日
理化学研究所
日本原子力研究開発機構
総合科学研究機構
高伝導性フラストレート磁性体における巨大ホール効果
-磁性体における異常ホール効果の新しい発現機構を実証-
理化学研究所(理研)創発物性科学研究センター 創発機能磁性材料研究ユニットの軽部 皓介 ユニットリーダー、強相関物質研究グループの田口 康二郎 グループディレクター、計算物質科学研究チームの有田 亮太郎 チームディレクター、強相関量子構造研究グループの有馬 孝尚 グループディレクター、強相関物性研究グループの十倉 好紀 グループディレクター、日本原子力研究開発機構 J-PARCセンターの大原 高志 研究主幹、総合科学研究機構 中性子科学センターの宗 像孝司 副主任技師らの共同研究グループは、高伝導性フラストレート磁性体[1]において磁場中で著しい変化を示す巨大ホール効果(磁場下で電子軌道が曲がる現象)を発見しました。
本研究成果は、磁性体におけるホール効果の複雑な物理的機構の理解に貢献すると期待されます。
今回、共同研究グループは、ひずんだ三角格子GdCu2を持つフラストレート磁性体に着目し、縦伝導率[2]の高い純良な単結晶において、多くの磁性体で見られる通常の値の10~100倍にも相当するホール伝導率[3]を観測し、符号反転を伴う複雑な磁場変化を示すことを発見しました。この巨大ホール効果は、電子状態の急激な変化と、局所的な非共面スピン構造[4]の揺らぎがもたらす新しい電子散乱機構で説明できることを示しました。
本研究は、科学雑誌『npj Quantum Materials』オンライン版(6月6日付)に掲載されました。

局所的な非共面スピン構造がもたらす巨大ホール効果の模式図
背景
磁性体におけるホール効果はその多彩な発現機構と高性能磁気センサーへの応用の観点から近年の物性物理学において精力的に研究されています。ホール効果は伝導電子が外部磁場によってローレンツ力を受けることにより軌道が曲がる通常の「正常ホール効果」と、強磁性体のように磁化が存在することによって軌道が曲がる「異常ホール効果」がよく知られています。最近の研究では、異常ホール効果はマクロな磁化を持つ強磁性体に限定されず、さまざまな磁性体において物質固有の電子状態で決定される仮想磁場によって引き起こされる「内因性機構」で説明できることが分かっています。
一方、異常ホール効果には、鉄の薄膜など伝導性の非常に高い磁性体において、わずかな不純物により伝導電子が、自身が持つ小さな磁石としての性質であるスピンの方向に応じて非対称に散乱される「外因性機構」も古くから知られています。近年、局在スピンの非共面的な局所構造の揺らぎが上記の不純物散乱機構と同様な異常ホール効果を与えることが理論的に提唱されており大きな注目を集めています。しかしながら、この新しい電子散乱機構には、高い縦伝導率と非共面スピン構造の両立が必要であり、これまでに実験的研究はごくわずかな物質に限られていました。
研究手法と成果
本研究では、GdCu2(Gd:ガドリニウム、Cu:銅)という異なる金属から構成される化合物(金属間化合物)に着目しました。この物質はGdがひずんだ三角格子を組んでおり、幾何学的フラストレーション[1]により三角格子上の隣り合うスピンが角度120度で安定する磁気秩序を示します(図1(a))。この三角格子上で実現する面内角度120度のスピン構造に垂直に外部磁場を掛けると、スピン同士がつくる立体角が徐々に狭まり、6テスラ(T:磁束密度の単位)と8Tで磁化が急激に増大する磁気相転移を経て、やがて10T以上でほとんどのスピンが同じ方向にそろった強制強磁性状態に到達します(図1(b))。

図1 GdCu2のひずんだ三角格子とスピン構造の模式図
(a)ゼロ磁場での面内角度120度スピン構造。(b)面直磁場下での強制強磁性状態。面内方向にわずかに傾いたスピンにより局所的に非共面スピン構造が生成する様子を青の点線で示している。
共同研究グループは、低温で非常に高い縦伝導率を示すGdCu2の純良単結晶を作製し、中性子回折実験から、磁場中の急激な磁化の増大はスピンの立体角が変化するだけで磁気構造の周期パターンは変化しないことを確かめました。この特徴的なスピン構造変化を踏まえた上で、次に、最大24Tまでの強磁場ホール効果測定を行いました。
その結果、低温で10の4乗~10の5乗Ω-1cm-1(Ω:オーム。電気抵抗の単位)オーダーの巨大なホール伝導率が観測されました(図2)。このホール伝導率は、6Tと8Tで磁化が増大する磁気相に入ると急激に減少して符号が負に逆転し、さらに10T以上の強制強磁性相に突入すると再び巨大な正のピークを示す複雑な磁場依存性を示します。また、温度を上げるか、わずかな原子構造の乱れを試料に加えて縦伝導率を下げると、この巨大ホール伝導率は急激に抑制されることが分かりました。通常の内因性異常ホール効果では、ホール伝導率は最大でも10の2乗~10の3乗Ω-1cm-1オーダーであり、原子構造の乱れにほとんど依存しないため、これらの実験結果は内因性機構では説明がつきません。

図2 GdCu2のホール伝導率
2ケルビン(K:絶対温度の単位)、6K、10K、14Kの各温度におけるホール伝導率の磁場依存性。黒の点線は強制強磁性の相境界を示す。
共同研究グループはこの巨大ホール効果の起源を明らかにするために、次のような理論的考察を行いました。まず、第一原理計算[5]に基づくバンド計算により、磁化の増大によりスピン分裂[6]が起きると新たなフェルミ面[6]が出現することが分かりました。この結果から、中間磁場領域で急激に落ち込む巨大ホール伝導率は、磁気相に応じて激しく変化する高移動度マルチキャリア[7]で説明できることが分かりました。その一方で、強制強磁性相の正のピーク構造は高移動度マルチキャリアだけでは説明がつかず、有効スピン模型計算[8]により、強磁性状態における局所的な非共面スピン構造の揺らぎ(図1(b))による電子散乱機構で説明できることが分かりました。また、通常の三角格子では非共面スピン構造由来のホール伝導率は、隣り合う三角形同士で相殺してしまいますが、GdCu2のひずんだ三角格子では完全に相殺せずに有限になることも明らかになりました。
今回GdCu2で観測された非共面スピン構造の揺らぎによる異常ホール伝導率は、これまでの原子が籠の網の目のように並んだカゴメ格子や鏡像が重なり合わないカイラル格子を持つフラストレート磁性体で報告された値よりもさらに大きいことが分かりました(図3)。これは、高移動度マルチキャリアと非自明なスピン構造の協奏がもたらす新しい創発輸送現象といえます。

図3 異常ホール伝導率と縦伝導率のスケーリングプロット
本研究のGdCu2の強制強磁性相で観測された異常ホール伝導率のデータ点を黄色で、カイラル磁性体MnGe薄膜およびカゴメ磁性体KV3Sb5で報告されているデータ点をそれぞれオレンジ色と緑色で、Fe薄膜の不純物散乱(外因性異常ホール効果)のデータ点を青色で、多くの磁性体が該当する内因性異常ホール効果の領域を灰色でそれぞれ示す。
今後の期待
本研究成果は、理論的に提唱されている非共面スピン構造がもたらす新しい電子散乱機構を強く支持するものです。今後、高伝導性フラストレート磁性体の複雑なホール効果の微視的機構の理解と研究の拡大に大きく貢献すると期待されます。
補足説明
- 1.フラストレート磁性体、幾何学的フラストレーション
幾何学的フラストレーションは、三角形の頂点に位置するスピン間に互いに反平行になるような相互作用が働くなど、幾何学的に相互作用が拮抗する状態。フラストレーション(スピン配列の不安定性)の結果、面内角度120度構造のような互いのバランスを取ったスピン構造が安定になる場合がある。そのような拮抗(きっこう)した磁気相互作用が働く物質を総称してフラストレート磁性体と呼ぶ。 - 2.縦伝導率
印加電流と平行方向のキャリア(電子または正孔)の伝導度を表す物理量。電気抵抗率の逆数に相当する。 - 3.ホール伝導率
印加電流と印加磁場に垂直方向のキャリアの伝導度を表す物理量。ホール抵抗率を電気抵抗率の2乗で割った値に相当する。 - 4.非共面スピン構造
三つのスピンの互いの向きが異なり立体角を持つ構造。スカラースピンカイラリティという物理量で記述でき、異常ホール伝導率などに直結する重要な要因になる。 - 5.第一原理計算
物質の性質を量子力学に基づいて直接的に計算する方法。この計算手法では、実験データや経験的パラメータを用いずに、基本的な物理法則(量子力学の原理)だけに基づいて物質の電子構造や物性を予測する。具体的には、シュレーディンガー方程式やその近似解である密度汎関数理論などを用いて、原子や分子の相互作用を計算する。第一原理計算は、物質の電子構造やエネルギー状態、バンド構造、化学反応などを高精度に予測することが可能で、新しい材料の設計や未知の物質の特性解明に非常に有用である。 - 6.スピン分裂、フェルミ面
フェルミ面は、運動量空間において、電子に占有された状態と占有されない状態のエネルギー境界に対応する。スピン分裂は、磁場の影響によりスピンのアップとダウンの一方のエネルギーが下がる(上がる)ことを指し、これにより新たなフェルミ面が生成(または消滅)する場合がある。 - 7.高移動度マルチキャリア
半導体は単一のキャリアで扱うことができ、磁場に比例する正常ホール効果の直線の傾きはキャリア濃度で決まる。一方、金属の場合は複雑なフェルミ面が存在するため複数のキャリアを持つマルチキャリア状態になることが多い。特にGdCu2の場合、マルチキャリアに加え移動度(キャリアの動きやすさ)も非常に高いため、正常ホール効果の磁場依存性も複雑になる。 - 8.有効スピン模型計算
複雑なスピン系を簡潔に記述するために、実際のスピン間の相互作用を近似的にモデル化して計算を行う手法。
共同研究グループ
理化学研究所 創発物性科学研究センター
創発機能磁性材料研究ユニット
ユニットリーダー 軽部 皓介(カルベ・コウスケ)
強相関物質研究グループ
グループディレクター 田口 康二郎(タグチ・ヤスジロウ)
計算物質科学研究チーム
チームディレクター 有田 亮太郎(アリタ・リョウタロウ)
(東京大学 大学院理学系研究科物理学専攻 教授)
基礎科学特別研究員(研究当時、現 客員研究員)チェン・シャォイー(Hsiao-Yi Chen)
(現 東北大学 金属材料研究所 金属物性論研究部門 助教)
強相関量子構造研究グループ
グループディレクター 有馬 孝尚(アリマ・タカヒサ)
(東京大学 大学院新領域創成科学研究科 教授)
客員研究員 中島 多朗(ナカジマ・タロウ)
(東京大学 物性研究所附属中性子科学研究施設 准教授)
強相関物性研究グループ
グループディレクター 十倉 好紀(トクラ・ヨシノリ)
(東京大学 卓越教授/東京大学国際高等研究所)
強相関量子伝導研究チーム
客員主管研究員 大貫 惇睦(オオヌキ・ヨシチカ)
東北大学 金属材料研究所 磁気物理学研究部門
准教授(研究当時)木俣 基(キマタ・モトイ)
(現 日本原子力研究開発機構 原子力科学研究所 先端基礎研究センター 研究副主幹)
東京科学大学 理学院
准教授 石塚 大晃(イシズカ・ヒロアキ)
日本原子力研究開発機構 J-PARCセンター
研究主幹 大原 高志(オオハラ・タカシ)
総合科学研究機構 中性子科学センター
副主任技師 宗像 孝司(ムナカタ・コウジ)
東京大学 先端科学技術研究センター
講師(研究当時)野本 拓也(ノモト・タクヤ)
(現 東京都立大学 大学院理学研究科物理学専攻 准教授)
研究支援
本研究は、理研TRIPイニシアティブ(多電子集団、AGIS)により実施し、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業基盤研究(B)「対称性と乱れに基づく新しいトポロジカル磁性と創発機能の開拓(研究代表者:軽部皓介、23K26534)」「ベクトル強磁場・高圧下熱測定で解明する三重項超伝導多重相の異方性とベリー位相物性(研究代表者:木俣基、23K22447)」、同学術変革領域研究(A)「キラル分子が誘起する新規な超伝導機能の計測と解明(研究代表者:木俣基、23H04014)」「精密物性測定によるアシンメトリ量子物質の新機能開拓(研究代表者:柳澤達也、23H04868)」「光誘起強相関FETにおけるスピン偏極フェルミ面の検出と局在-非局在転移の解明(研究代表者:木俣基、21H05470)」、同国際共同研究加速基金(海外連携研究)「先端的熱測定技術の国際共同開発による強磁場科学の新展開(研究代表者:小濱芳允、23KK0052)」、同基盤研究(A)「スピン・バレー結合した超高易動度ディラック電子の新奇非相反・非線形伝導現象の開拓(研究代表者:酒井英明、22H00109)」、同基盤研究(S)「ウランも含む強相関トポロジカルスピン三重項超伝導の物理(研究代表者:青木大、22H04933)」、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業CREST「Beyond Skyrmionを目指す新しいトポロジカル磁性科学の創出(研究代表者:于秀珍、JPMJCR20T1)」、同創発的研究支援事業「超室温トポロジカル磁性材料の創出(研究代表者:軽部皓介、JPMJFR235R)」による助成を受けて行われました。本研究の強磁場実験は、東北大学金属材料研究所における共同研究(202311-HMKPA-0001)により実施されました。また、J-PARC物質・生命科学実験施設(MLF)での中性子回折実験は、J-PARC一般課題(2022B0259)により行われました。
原論文情報
- Kosuke Karube, Yoshichika Ōnuki, Taro Nakajima, Hsiao-Yi Chen, Hiroaki Ishizuka, Motoi Kimata, Takashi Ohhara, Koji Munakata, Takuya Nomoto, Ryotaro Arita, Taka-hisa Arima, Yoshinori Tokura, Yasujiro Taguchi, "Giant Hall effect in a highly conductive frustrated magnet GdCu2", npj Quantum Materials, 10.1038/s41535-025-00774-3
発表者
理化学研究所
創発物性科学研究センター 創発機能磁性材料研究ユニット
ユニットリーダー 軽部 皓介(カルベ・コウスケ)
強相関物質研究グループ
グループディレクター 田口 康二郎(タグチ・ヤスジロウ)
計算物質科学研究チーム
チームディレクター 有田 亮太郎(アリタ・リョウタロウ)
強相関量子構造研究グループ
グループディレクター 有馬 孝尚(アリマ・タカヒサ)
強相関物性研究グループ
グループディレクター 十倉 好紀(トクラ・ヨシノリ)
日本原子力研究開発機構 J-PARCセンター
研究主幹 大原 高志(オオハラ・タカシ)
総合科学研究機構 中性子科学センター
副主任技師 宗像 孝司(ムナカタ・コウジ)
報道担当
理化学研究所 広報部 報道担当
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日本原子力研究開発機構 総務部報道課
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