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研究最前線 2023年4月14日

「生えないはずのカビ」に刻まれた進化の歴史

私たち人間の体にウイルスなどの病原体の感染を防ぐ仕組みが備わっているように、植物の体の中にもカビなどの感染を防ぐ仕組みが備わっています。岩崎 信太郎 主任研究員らは、植物の防御システムをすり抜けて感染するカビを発見。そのカビを調べたところ、ほかのカビには見られない非常に珍しい戦略で、植物の防御を崩していることが明らかになりました。

岩崎 信太郎の写真

岩崎 信太郎(イワサキ・シンタロウ)

開拓研究本部 岩崎RNAシステム生化学研究室 主任研究員

アメリカに残してきた観葉植物に異変が

2016年に理研に入所する前、岩崎 主任研究員は米国カリフォルニア大学バークレー校に留学し、「翻訳」に関する研究を行っていた。翻訳とは生物が細胞内でタンパク質を合成する過程のことである。帰国することになり、研究材料として使っていた「アグライア オドラータ(以下、アグライア。和名:樹蘭)」という観葉植物の処分に悩んだ。日本に持ち帰るには検疫で苦労するし、廃棄するのも忍びない。そこで研究室の同僚に植物の世話を頼んで帰国した。

帰国して数カ月が経ったころ、その同僚からメールが届いた。「アグライアにカビが生えてしまった」というのだ(図1)。水のやり過ぎが原因だと思われたが、実に奇妙な現象だった。アグライアはカビ(糸状菌)などの菌類に対する独自の感染防御システムを持っているため、本来カビが生えないはずなのだ。

アグライアに生えたカビの図

図1 アグライアに生えたカビ

主に東南アジアに生育しており、沖縄にも自生しているアグライア(左)とそれに生えたカビ(右 白く見える部分)。

岩崎 主任研究員はひらめいた。「アグライアの防御システムをすり抜ける"何か"をカビが持っているのではないか」。そこで同僚にそのカビを採取するように依頼したのである。

非常に珍しい"すり抜け"戦略

アグライアは「ロカグレート」という化合物を体内につくることで、カビの感染(寄生)を防いでいる。ロカグレートはカビが翻訳に使うタンパク質に結合して、翻訳を止める。そうすることでカビが増殖できないようにしているのだ。ところが、今回発見したカビはロカグレートが結合しないように自身のタンパク質の構造を変化させていた。つまり、アグライアはカビの翻訳を止められなかったことにより、寄生されたのだ。

「菌類が感染防御システムをすり抜ける方法としては、植物がつくる抗菌成分を分解する戦略が一般的です。今回はそうではなく、その抗菌成分が効かないように自身のタンパク質を変化させるというものでした。これはあまり知られていない、とても珍しい戦略です」。"何か"があると踏んだ岩崎 主任研究員の読みは当たっていたのだ。

今回発見したカビも、おそらくその祖先はロカグレートによって感染を阻止されていたと考えられる。しかし、いつしかロカグレートが結合できないタンパク質を持ったカビが出現し、アグライアの感染防御システムをすり抜けられるように進化したのだろう(図2)。「ここに至るまでには、植物とカビの間に長年にわたる生存競争があったはずです。タンパク質のわずかな変化の中に、そういった進化の歴史が刻まれていると思うと、非常に興味深いですね」

感染をめぐるアグライアとカビの攻防の図

図2 感染をめぐるアグライアとカビの攻防

植物の中にもともと潜んでいたのかもしれない

今回発見したカビは、漢方薬の生薬にも使われる「冬虫夏草」の仲間であることが解析によって判明した。冬虫夏草は、普段は昆虫などの体内に寄生して潜んでいるが、一定の条件がそろうと増殖し、昆虫の体外へ飛び出すほどに成長するキノコやカビなどの仲間だ。冬の間は虫なのに、夏になる(条件がそろう)とカビが生えて草のようになると考えられていたことから、その名がついたと言われている。

アグライアに生えたカビも普段は植物の中に潜んでいて、何らかの環境変化をきっかけに植物の体から飛び出し増殖するのではないかと岩崎 主任研究員は予想している。アグライアが自生する亜熱帯から熱帯の地域では、アグライアを採食する昆虫の体内にも今回のカビが寄生している可能性がある。アグライアごと体内に取り込まれたカビが、冬虫夏草と同じように昆虫の体内に潜んでいるかもしれないからだ。「共同研究で一緒にその謎解きに挑んでくれる、昆虫の専門家を募集中です!」

カリフォルニアで育まれたチャレンジ精神

たまたま生えてしまったカビをきっかけに、生物の珍しい戦略が明らかになった。今回のストーリーを植物や菌類の専門家に話すと、決まってびっくりされるという。このような素朴な疑問に端を発する研究でうまく成果が出ることは非常にまれであり、そのような成功率の低い研究にチャレンジしたことに驚く人が多いのだ。

「勝算があって始めたわけではなく、面白そうだからとりあえずやってみようという、気楽な感じで始めました。そういった精神は、いつもカラッとした陽気のカリフォルニアに留学したことで身についたのかもしれませんね」

多くの共同研究が進行中

岩崎 主任研究員は留学先で、細胞内の翻訳状況を解析するための最先端の手法「リボソームプロファイリング法」を習得した。今回の研究でもこの手法は重要な役割を果たした。日本でこの手法を実施できる数少ない研究室であることから、多くの共同研究の依頼が舞い込む。「リボソームプロファイリング法を使って翻訳状況を調べてみたいと、学会などでお声かけいただきます。ありがたいことです」

研究室では日々、新たな実験データがどんどん出てくる。それらを分析して論文にまとめたり、共同研究先とやり取りをしたりといった膨大な業務と格闘する毎日だ。今は3歳になる娘と過ごす時間が癒やしであり、活力になっているという。「毎夕、保育園に迎えに行き、娘と一緒に夜8時半頃に就寝。その代わり4時には起きて、朝の静かな時間に論文を書いたりしています」と、楽しそうに語るのだった。

(取材・構成:福田 伊佐央/撮影:相澤 正。/制作協力:サイテック・コミュニケーションズ)

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