1. Home
  2. 広報活動
  3. クローズアップ科学道
  4. クローズアップ科学道 2023

特集 2023年9月12日

神戸市の防災計画にデジタルツインを生かす

「デジタルツイン」とは、コンピュータの中に現実世界を再現し、その中でシミュレーションを行う技術のことで、さまざまな課題の解決に使われ始めています。2022年4月、理研は神戸市、株式会社 NTTドコモとともに、デジタルツインを防災計画に生かすプロジェクトをスタートさせました。その狙いとこれまでの成果、今後の展望について、プロジェクトに関わる理研、神戸市、NTTドコモのメンバーに語り合っていただきました。

集合写真

左から
株式会社 NTTドコモ クロステック開発部 複合価値創出担当
安部 孝太郎(アベ・コウタロウ)担当課長
土居 奈々子(ドイ・ナナコ)

理研 計算科学研究センター 離散事象シミュレーション研究チーム
伊藤 伸泰(イトウ・ノブヤス)チームリーダー
楳本 大悟(ウメモト・ダイゴ)研究員

神戸市 危機管理室
蔵元 良平(クラモト・リョウヘイ)係長
道上 祐輝(ミチガミ・ユウキ)
能勢 正義(ノセ・マサヨシ)課長

※本文中は敬称・肩書略

ニーズ、実データ、解析技術がそろったプロジェクト

――今回のプロジェクトが始まったきっかけは?

能勢(神戸市):神戸市は1995年に阪神淡路大震災を経験しています。さらに、最近は異常気象に伴う豪雨などが頻発していることもあり、大規模災害に備えた街の防災対応力強化が非常に重要と考えています。具体的には現在、「都心・三宮の再整備」事業を軸にハード面の整備を進めています。一方で、神戸市民に加えて来街者の安全のためのソフト施策の充実もとても重要です。

そのような中、2016年から事業連携協定を締結しているNTTドコモに加え、2022年に理研の参画を得て、災害が起きたときに来街者の安全を守る避難誘導のシミュレーションを行い、帰宅困難者対策に反映させるという今回のプロジェクトに取り組むことになりました。

安部(NTTドコモ):私たちは通信に関連する先進技術を社会実装することを目指しています。神戸市 危機管理室の皆さんが強靱なまちづくりのための施策の一つとして、帰宅困難者対策に真摯に取り組まれていることを知り、私たちの技術やデータが役に立つのではないかと考えました。

帰宅困難者の動きを把握するためには何通りもの人流のシミュレーションが必要になります。しかし、それには膨大な時間と労力が必要です。神戸市の皆さんと検討を重ねるうちに理研に相談してみようということになりました。スーパーコンピュータ「富岳」を使えば何百万通りものシミュレーションが瞬時に実行できることを期待して、伊藤先生との打ち合わせに臨んだのを覚えています。

伊藤(理研):計算科学研究センターは、「富岳」の前の「京」以来、スパコンで何ができるかを追究してきました。その一つが社会シミュレーションです。社会シミュレーションでは、ドコモの安部さんが言われた通り、可能性のあるパターンを網羅的に探索することが特に役立ちます。コンピュータ側でデジタルツイン、つまり、現実世界の映し鏡になるモデルをつくり、いろいろなパターンで何が起こるかをシミュレーションする。すると、その結果をもとに、どのような対策が有効かを検討することができるのです。しかし、われわれには、現実世界のデータと、実際の社会でそれをどのように応用するかという知見が足りませんでした。

今回のプロジェクトでは、阪神淡路大震災以降、日本の防災行政における中核的な自治体の一つとなっている神戸市、実際の人流データのみならずその他のデータも保有しているNTTドコモ、「富岳」を有する理研の三者がタッグを組むことで、ニーズ、実(じつ)ビッグデータ、それを解析する技術を組み合わせることが可能になりました。その中で、本当に役に立つ社会シミュレーションには何が必要なのかを洗い出して研究テーマにしていこうと考えたのです。

結果を伝え、市民の理解と行動へつなげる

――具体的にはどのようなシミュレーションを行っているのですか?

楳本(理研):「富岳」を使って多数のパターンのシミュレーションを行うには、いろいろな準備が必要です。そこでまず、研究室のワークステーションや計算科学振興財団のスパコン「FOCUS」などを使って、いくつかのパターンについてシミュレーションを行うことにしました。最初に行ったのは、神戸市の新港エリアから鉄道駅のある三宮へ1万人が避難するという想定のシミュレーションです。新港は三宮の南1.8kmほどのところにあり、再開発が進み大規模イベント会場の建設も計画されています。もしイベント中に災害が起きたら、大勢の参加者が歩いて三宮に向かうことになります。この状況をシミュレーションしました。避難経路を指定する/しない、信号をすべて青にする/しないといったパターンに分けて、道の混雑具合や全員の避難にかかる時間などを比較しました。その際にNTTドコモのデータを活用し、ふだん三宮周辺にいる人数の推定を行いました。

土居(NTTドコモ):私たちは皆さんにスマートフォンをいつでもどこでも使っていただけるよう、電波を定期的に基地局で捉える仕組みを備えています。その情報を、個人の特定につながらないように非識別化したうえでモバイル空間統計®というサービスとして提供しています。今回は、三宮周辺を500m×500mのメッシュに区切り、ある日のある時間帯に各メッシュの中に何人いたかというデータを活用しました。

楳本:対象エリアを少し広げて、旧居留地(図1)の「一斉帰宅抑制」のシミュレーションも行いました。災害が起こったとき、多くの人が一斉に帰宅しようとすると道や駅に滞留が発生し、スムーズな避難が困難になります。これを避けるため、安全な施設に一定時間とどまっていただくのが一斉帰宅抑制です。旧居留地には多くの事業所があり、そこに勤務する人が大勢いるほか、商業施設を訪れる人も多くいます。そこで、事業所にいる約4万人の帰宅を12時間遅らせた場合と、すぐに帰宅を始めた場合で、三宮に向かう道の混雑の様子や避難完了までの時間などに差が見られるかを、シミュレーションで調べました(図2)。

神戸市の旧居留地の図

図1 神戸市の旧居留地

江戸時代の終わりに神戸港が開港した後、外国人の居留地となった場所。三宮の南西にあり、現在は、オフィスビルや商業施設が建ち並ぶ。比較的新しいビルが多いことから、災害時には事業所の勤務者に一斉帰宅抑制を行うことが考えられている。
写真提供:神戸市

一斉帰宅抑制の人流シミュレーションの図

図2 一斉帰宅抑制の人流シミュレーション

一斉帰宅抑制を行った場合(A)と、行わない場合(B)の人流シミュレーションのスナップショット。(A)は、事業所勤務者が事業所に12時間とどまった場合。滞留の程度の違いが分かる。

能勢:こうしたシミュレーションの結果は、神戸市の帰宅困難者対策に活かせると考えています。例えば、現在の神戸市の「三宮駅周辺地域帰宅困難者誘導マニュアル」では、避難誘導を行う誘導員が立つ場所を定めています。三宮周辺地域の大規模災害時の避難のシミュレーションを行うことにより、誘導員の配置の検証に役立つものと期待しています。

一斉帰宅抑制も帰宅困難者対策の柱の一つです。一斉帰宅抑制で混雑が緩和されることが分かれば、それを広報動画にし、繁華街の大型モニターで流すなどして、市民や事業者にその効果を広く伝えていきたいですね。

土居:私たちの責務の一つに、市民の皆さんに研究成果を分かりやすく伝えることがあります。能勢 課長が言われるような形で帰宅抑制の効果を伝えることができれば、実際に災害が起こった際に、多くの方が帰宅を控えて下さることにつながるのではないかと思います。

デジタルツインの実現に必要な地道な作業

――シミュレーションで苦労したのはどういう点ですか?

楳本:人流のシミュレーションに適した地図づくりです。意外な感じがすると思いますが、無料で利用できる正確な地図のデータは世の中にほとんど存在しないのです。そこで次善の策として、OpenStreetMap(OSM)というオープンソースの地図を利用することにしました。OSMは、多くのユーザーが自発的に情報を寄せてつくっており、誰でも使用できます。

ただし、そういう作成法なので、情報が足りない部分や現実と異なっている部分があります。特に、人流のシミュレーションでは、歩道の有無や幅、横断歩道に信号がついているかといった情報が重要ですが、残念ながらそれらの情報は不十分です。そのため、足りない情報をどうやって地図に加えるか、ドコモの皆さんとともに苦労しました。いろいろ検討した結果、例えば、横断歩道には一律に信号をつけるといった規則をつくって対応することにしました。手作業の部分が多く、膨大な時間がかかりました。

安部:私たちも今回の取り組みで、"歩道幅など細部が整えられた地図データ"の整備が必要であることを再認識しており、NTTグループ内でも連携して研究を進めています。私たちは、今回のようなプロジェクトを全国にスピード感を持って展開するには、他に何が足りないのかを神戸市や理研の皆さんと検討しつつ、社内でも共有し、今後に生かしていくつもりです。

――コンピュータの中に現実世界のモデルをつくるのは簡単ではないのですね。シミュレーションにも苦労はあったのでしょうか?

楳本:人流のシミュレーションには、産業技術総合研究所が開発したCrowdWalkというオープンソースアプリケーションを使いました。このアプリを「富岳」で動かせるようにするのに苦労しました。CrowdWalkは「富岳」のために書かれたプログラムではないので、「富岳」で動かすには仮想化技術というものを使います。その難しさに加え、ほかにもさまざまな調整を行う必要があったのです。

伊藤:楳本さんのがんばりで、「富岳」で何百万通りものシミュレーションをする準備は整いました。これまでは、いくつかのパターンを試験的にシミュレーションしただけですが、今後は、パターンを少しずつ増やしてシミュレーション結果を避難誘導に活かすための検討を進め、大規模なパターン探索が必要となったらすぐに「富岳」に移行したいと考えています。

結果の実装に向けて

――これまでの成果は、2023年11月にスペインのバルセロナで開催される「Smart City Expo World Congress 2023」という国際イベントで発表されると聞いています。

伊藤:神戸市、理研、バルセロナ市、バルセロナ・スーパーコンピューティング・センターが共同で発表する予定です。神戸市とバルセロナ市は姉妹都市協定を結んでいますし、研究者同士の交流も活発です。今回のプロジェクトの成果について紹介するのはもちろんですが、バルセロナ市側では、行政・医療サービスへのアクセシビリティの解析といった、われわれとは異なる社会シミュレーションに取り組んでおり、両者の組み合わせによる新たな展開について報告したいと考えています。

――デジタルツインが発展すれば、防災計画だけでなく、行政のさまざまな場面に社会シミュレーションが役立ちそうですね。最後に、今後への期待をそれぞれお聞かせください。

能勢:理研、NTTドコモとの協力により今後、高精度のシミュレーションが実現すれば、その結果は、経験に基づくこれまでの計画やマニュアルを検証する上での科学的な根拠になると期待しています。学術研究機関や企業が持つ知見や技術、データなどを活用した成果を社会実装したり、市民のための施策に反映させたりすることは非常に重要ですが、それらをうまくマッチングさせることは、一般的には行政機関にとって少しハードルの高い部分もあると考えています。その点、今回は三者の協力が非常にうまくいっており、今後さまざまな形に発展させることができればと考えています。

土居:神戸市の防災計画をはじめ、社会課題の解決につながるような活動に携わっていることに、やりがいを感じています。今後は、いま顕在化している課題のみでなく、まだ見えていない課題にも取り組んでいけるように努めていきたいと思います。

伊藤:今回のプロジェクトでは、神戸市からも数多くの具体的なフィードバックがあり、われわれのシミュレーション技術を現実社会に応用する上での弱点や長所を認識できました。こういう場は非常に貴重だと感じています。

今回のプロジェクトを通して、一研究者というより一国民としての自覚が高まったように思います。ゆくゆくはこうした取り組みが日本中に広がって、世の中の安心・安全に寄与するサービスになることを願っています。

(取材・構成:青山 聖子/撮影:大島 拓也/制作協力:サイテック・コミュニケーションズ)

関連リンク

この記事の評価を5段階でご回答ください

回答ありがとうございました。

Top