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研究最前線 2024年5月28日

社会と海をつなぐ環境データサイエンス

菊地 淳 チームリーダーの目標は、環境恒常性の回復に向けた対策の立案・実現に貢献すること。さまざまな要素が互いに影響しながら時々刻々と変化していく「環境システム」を評価し、その中の何をどのように制御すれば自然復興につながるのかを明らかにするために、データサイエンスを駆使して研究に取り組んでいます。中でも注力しているのは沿岸の再生に向けたアプローチ。その活動はラボ内にとどまらず、社会への働きかけへと発展しています。

菊地 淳の写真

菊地 淳(キクチ・ジュン)

環境資源科学研究センター 環境代謝分析研究チーム チームリーダー

海にインスパイアされた研究目標

理研 横浜地区からほど近いところにある京浜運河。菊地 チームリーダーは、客員教授として指導する横浜市立大学の大学院生たちと共に、ここで毎週海水を採取している。「この運河は大正時代につくられたもので、京浜工業地帯の発展の基礎となりましたが、海水の流れを変化させたため東京湾奥域はよどんでしまいました。また、ここを行き交うタンカーや貨物船を見ていると、資源・エネルギーの大半を輸入に頼る日本が海外依存から脱却し、廃棄物のリデュースやリサイクル体制を確立することの重要性に思いが至ります」と語る。

研究の目標は、環境の自然復興を目指すネイチャーポジティブ(NP)、カーボンニュートラル(CN)、サーキュラーエコノミー(CE)の三つの取り組みに貢献することだ。NPとは生物多様性の損失を食い止め、反転させ、回復軌道に乗せること、CNとは二酸化炭素など温室効果ガスの排出量と吸収量を「差し引きゼロ」にすること、CEとは海外依存度の高い資源やエネルギー等の国内循環を促す経済システムのことである。

研究手法はデータから価値を引き出すデータサイエンスであるが、着目する現象に関わるデータは自分自身が共同研究者と共に集め、気象や海況データはオープンソースも利用する。そして、集めたビッグデータの機械学習によって、どの要素を制御すれば、その現象を狙った方向に動かせるかを明らかにする。例えば2018年には、定期的に採取した海水の成分(栄養塩やミネラルなど)の時系列データを解析して、赤潮発生の重要因子を明らかにした。この因子を測定・制御すれば赤潮の発生を抑えられるとの狙いからだ。

データ駆動型アプローチで追う微生物の「村」形成

最新の研究では材料の生物付着性に着目した。海洋では、養殖場のロープやブイ、護岸用ブロックなど、さまざまな用途で材料が使われている。「中でもいろいろな種類のプラスチックを『適材適所』で使うことが、環境の回復に役立つ可能性があります。例えば、ロープの芯材に生分解されにくいものを選べば、長持ちしてCEに貢献します。一方、表面を生分解されやすいものでコーティングすれば、そのプラスチックを分解する海水中の微生物が集まってきます。これを足場としてブルーカーボンが造成されれば、NPにもCNにも貢献すると期待されます」と、研究の動機を説明する。ブルーカーボンとは、沿岸や海洋の生態系に取り込まれ、固定される炭素のことだ。

適材適所を判断する因子を探るために、まず、37種類のプラスチックを共同研究者に合成してもらった。プラスチックの構成単位として、生分解性を高めることが知られているアジピン酸や生分解性が低くなるとされる芳香族化合物などを選び、組み合わせや比率をいろいろ変えた。そして、京浜運河につながる鶴見川河口の汽水域で海水を採取し、その中にいる微生物群集を使って生分解性の評価を行った(図1)。

さまざまなプラスチックの試験片に海水由来の微生物群集を加え、2週間培養した後、微生物群集の構成(種類と量)を調べる。試験片の分解速度も求める。これとは別に、時間領域NMR(核磁気共鳴)という方法で個々の試験片の物性を測定する。具体的には、プラスチック分子の運動性(長い鎖のような分子がどのぐらいグニャグニャしているか)と、親水性(どれだけ水とのなじみがよいか)を調べる。こうして得られたビッグデータを統計解析し、「プラスチックの組成」-「プラスチックの物性」―「微生物群集の構成」の間の関係を検討した。

「その結果、アジピン酸を多く含むプラスチックは分子運動性と親水性が高く、生分解速度も速いことが分かりました。微生物の側から見れば、肥沃で耕しやすい土地のようなもので、アジピン酸を好む種類の微生物が『村』をつくるように棲み着いていました。これとは逆に、芳香族化合物を多く含むプラスチックは分子運動性も親水性も低く、生分解速度は遅い。微生物の側から見れば岩盤のようなもので、たまたまここに辿り着いた微生物が細々と生きていました」。この成果は、海洋で使われるプラスチックの選択・設計に大いに役立つことだろう。

生物付着性プラスチックの研究の全体像の図

図1 生物付着性プラスチックの研究の全体像

プラスチックの組成(構成単位の種類と比率)、物性、微生物群集の構成の間の関係を明らかにするために、種々のプラスチックを合成し、海洋微生物群集を用いた生分解性試験、時間領域NMRによる物性の測定等から得られたビッグデータを解析した。

ラボにいるだけでは環境の自然復興はできない

菊地 チームリーダーらは、プラスチックのCE化プロセスのための研究にも力を入れている。「プラスチックの品質は長年の保管や使用で環境要因により劣化します。製造時に部品や製品の物性データをとって品質劣化を予測したいと考え、小型で次々に測定ができる新しい方式の時間領域NMR装置(図2)を開発しています」。この装置を部品工場などで使えば、耐用年数やリサイクル可能性などの面からCE化プロセスの評価に貢献すると期待される。

開発中の時間分解NMR装置の図

図2 共同研究者らと開発中の時間領域NMR装置

従来のNMR装置は試料管を用いて測定するため小さい試料しか測定できず、試料を出し入れする必要があるので部品工場などでの流れ作業にも向かない。そこで、菊地 チームリーダーらは片側開放型磁石で測定できる新しい解析方式を開発している。

さらに、活動は研究室から外へと広がっている。2024年度から始まった環境省のプロジェクトでは、NPO法人「海辺つくり研究会」と共に、東京湾の再生方法の合意形成に向けて市民や関係者との勉強会を開いている。現状を把握するとともに、科学的な知見を共有し、5年間で着地点を見いだすことを目指す。

  • 令和6年度環境研究総合推進費新規採択研究課題「沿岸環境・生態系デジタルツインの開発と実践」サブテーマ「市民参画による再生ビジョンの構築と価値評価」

また、菊地 チームリーダーは、横浜港に立地する企業をつなごうと奔走している。「横浜市の施設と連携してゴミ焼却時の排ガスCO2とグリーン水素からメタンをつくるメタネーションに取り組む企業もあるし、排水からのリン資源回収、食品系残渣のメタン発酵によるエネルギー回収も産官共同で推進されています。さらに、日本各地の洋上風力発電施設の足下に海藻養殖場の造成を目指す企業もあります。こうした企業をつなぐことで、横浜港をNP、CN、CEのための取り組みが集積したモデル地域にできるのではないかと考えています」。京浜運河で抱いた思いは、多くの人を巻き込み始めている。

(取材・構成:青山 聖子/撮影:相澤 正。/制作協力:サイテック・コミュニケーションズ)

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