蚊に血を吸われると、皮膚がかゆくなるだけでなく、感染症を引き起こす原因にもなります。そのため長年にわたって吸血の仕組みが研究されてきました。佐久間 知佐子 上級研究員は、蚊が「血を吸い終わる」仕組みに着目し、血液に存在するあるシグナルを発見しました。
佐久間 知佐子(サクマ・チサコ)
生命機能科学研究センター 栄養応答研究チーム 上級研究員
蚊はどうやって"腹八分目"を感知するのか
吸血性の蚊によって媒介されるマラリアや日本脳炎などの感染症により、世界中で多くの人が命を落としている。感染症を防ぐには感染経路を断つなど、多角的な対策が重要だ。その一環として吸血行動そのものを理解する必要がある。
ヒトの体温や呼気などに引き寄せられたメスの蚊は、皮膚に口吻(こうふん)と呼ばれる針を刺して血管を探り当て、血を"味見"してから吸うかどうかを決めることが分かっている。決め手となるのは血液中の化合物、アデノシン三リン酸(ATP)だ。このATPを感知すると、それがシグナルとなって血を吸い始める。
吸血を開始した蚊は、体重が2.5倍になるほど大量の血液を吸う。しかし、腹部が完全に膨れる前の"腹八分目"程度で吸血をやめる。自発的にやめるということは、ある程度満腹になったところでストップをかける仕組みがあると考えられる。「血中のATPが常に吸血を促しているはずなのに、どうやって吸血を止めているのだろう」。佐久間 上級研究員は疑問を抱いた。
腹が膨れるという物理的な刺激で吸血を制御するメカニズムの報告もあるが、なんらかの物質が化学的に関与している可能性もある。もしも、血を吸うことをやめさせる物質があるとすれば、それを利用して人為的に吸血行動を制御し、蚊が媒介する感染症を防ぐことにつながるかもしれない。
ストップシグナルは血液凝固に関わる物質
佐久間 上級研究員は、ヤブカの仲間であるネッタイシマカを使って吸血をやめる物質を探索した。マウスから実際の血液を直接吸わせた場合と、人工膜を通して温めたATP溶液を吸わせた場合(人工吸血法)では、ATP溶液のほうが摂取量が多かった。実際の血液では蚊のほとんどが腹八分目で吸血をやめており、血液には吸血を促進するATPだけではなく、吸血を抑制する物質も含まれていることが示唆された。
「そこで、血液の成分ごとに分けて与えてみることにしたのです。血液が凝固した際に残る上澄みである血清を試してみました。血清は赤血球を含まないので、これまでは蚊の吸血行動に影響しないと考えられてきました。しかしATP溶液に血清を混ぜて与えると、摂取はするものの満腹まで吸う蚊の割合が著しく減ったのです(図1)。吸血を止める物質は血清に含まれている可能性が高いことが分かりました」
図1 血清により満腹蚊の割合が減少
- 左:緑色に着色したATP溶液をネッタイシマカに摂取させることで、満腹状態を視覚的に評価しやすくし、満腹、少量摂取、未摂取の3段階に分類。
- 右:ATP溶液単独の摂取では大半のネッタイシマカは満腹になるが、ATP溶液に血清を混ぜると満腹になる個体の割合が減少。
さらに血清成分を細かく分類して調べ、吸血を抑制する物質としてたどり着いたのが、血液の凝固に関わる物質として知られる「フィブリノペプチドA(FPA)」だ。傷口などをふさぐ血の塊(血液塊)がつくられる際、まず前駆体タンパク質フィブリノーゲンからFPAが切り出され、フィブリンが生成される。このフィブリンが血液塊を形成する。このとき、切り出されたFPAは血清中に残されたままとなる。マウスの血を吸う前と後で蚊の体内を調べると、吸血完了時にFPAが増加しており、体内で血液の凝固が進んだことが確認できた(図2)。
図2 吸血開始から停止までで変化するシグナル
血液中に含まれるATPは吸血開始とともに蚊の体内に入り、吸血促進シグナルとして作用し続ける。吸血開始直後はFPAの血中濃度が低いが、血液の凝固と共に増加し、吸血停止シグナルとして感知される仕組みを備えていると考えられる。
吸血後の蚊の体内を時間を追って調べていくと、吸った血液が徐々に固まっていく様子も詳しく分かってきた。初めはサラサラだった赤い血が10分後くらいには徐々に黒ずみドロリとし始め、最終的にはどす黒い血の塊になる。体内で血液が固まることは蚊にとって危険なように思えるが、実はここにも意味があるらしいと分かってきた。
蚊が吸った血は塊となって体内にとどめられ、50時間くらいかけて少しずつアミノ酸に分解され、卵をつくる材料として少しずつ利用される。そうして吸血から72時間後に産卵、メスの蚊は次の産卵のために再び吸血に向かう。卵母細胞に蓄えられる卵黄タンパク質には、血液由来の栄養(タンパク質)が利用されることが知られているが、詳細は未解明であり、佐久間 上級研究員たちはその研究も進めている。
「蚊は産卵のためにかなり精巧なプロセスで吸血していると分かりましたが、神経系統を調べてもATPやFPAを感知する受容体はまだ見つかっていません。どのような分子で認識しているのか、それを脳にどう伝えているのかも知りたいと思っています」
蚊の栄養にフォーカス
研究するほどに蚊について知りたいことが増えていくと語る佐久間 上級研究員。吸血という行動だけをとっても、血を吸う口吻の構造や血の成分を感知する器官、そこで働いている受容体など、そのプロセスの精巧さにますます興味が湧いてくる。
「吸血する蚊は一部の種だけです。多くの蚊はメスであっても吸血せず、オスと同様に樹液を吸うだけで卵を産みます。吸血する蚊でもカエルだけ、ハゼだけというように特定の生物からしか吸血しない種類があります。このように蚊の栄養という視点で研究を進める中で、感染症対策に役立つ知見が見つかればいいなと思っています」と語る表情から、研究が楽しくてしかたないという思いが伝わってくる。この情熱が源泉となり、研究のアイデアは尽きることなく溢れてくるようだ。
(取材・構成:牛島 美笛/撮影:大島 拓也/制作協力:サイテック・コミュニケーションズ)
関連リンク
- 2024年6月21日プレスリリース「蚊は腹八分目を知る」
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