2010年1月14日
独立行政法人 理化学研究所
重イオンビームで四季咲きサクラの品種改良に成功
-開花に欠かせない休眠打破の低温要求性を低減、長い開花期を獲得-
ポイント
- 木肌の美しい「山形13系敬翁桜」に炭素イオンビームを照射し「仁科乙女」作出
- 低温要求性が低く、1年中開花させたり、地球温暖化に強く熱帯での育成も可能に
- 花盛りを誇る元品種「山形13系敬翁桜」より花数が3倍も増加
要旨
独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、仁科加速器研究センターRIビームファクトリー※1にある理研リングサイクロトロンが発生する重イオンビーム※2「炭素イオン」を山形13系敬翁桜※3に照射し、野外栽培では、春(4月~7月)と秋(9月~11月)の二季、温室栽培では、いつでも花が咲く四季咲きサクラ※4の新品種「仁科乙女※5」の作出に成功しました。仁科加速器研究センター(延興秀人センター長)生物照射チームの阿部知子チームリーダーとサクラ育種家のJFC石井農場(山形県山形市釈迦堂)の石井重久氏との共同開発による成果です。
重イオンビームを用いた突然変異誘発法※6は、ほかの有用形質に影響を与えず変異を誘発し、育種年限の大幅な短縮を可能とする日本独自の開発技術で、ガンマ線やX線などの放射線照射や化学変異剤処理などの従来の手法に比べ、高生存率を示す極低線量照射※7でも、変異率が高いという特徴があります。極低線量照射では、飛来する粒子数が少なく、目的とする遺伝子以外を壊さないため、変異株そのものが新品種となり、育種に要する期間を短縮することができます。生物照射チームは、この重イオンビームを使った園芸植物の品種改良技術を開発し、すでにダリア、ペチュニア、バーベナ、トレニア、デロスペルマ、ナデシコ、サイネリアなどで実用化し、これまでに15種類の園芸植物で市販新品種の育成に成功しました。2004年にはサクラへも重イオンビームを照射し、黄色いサクラ「仁科蔵王※8」を育成、2007年に理研初の品種登録を行いました。
2006年に山形13系敬翁桜の穂木※9に炭素イオンを10Gy照射し、「敬翁桜」に接ぎ木しました。2007年に生育の良い枝より挿し木苗を増殖したところ、秋に高率に花が咲く系統を得ました。この貴重な変異系統を温室で栽培したところ、2008年春から連続して開花し、四季咲き性を示しました。また、この系統を野外で冬の寒さにさらすと4月に一斉に開花し、花数が元品種の3倍程度に増加しました。
理研と石井氏は共同で、農林水産省に四季咲き桜の「仁科乙女」として品種登録出願を2009年12月14日に行い、15日受理されました。なお、花苗増産は「生産販売組合さくら」組合員である山形県内外の生産農家で行い、販売は、仁科蔵王と同様に株式会社クリエイティブ阪急から、2010年3月に開始する予定です。
背景
バラ穂木に重イオンビームを照射すると花の色、花弁の枚数や大きさなどの花の形は変わりやすく、その変異率は10~40%程度と大変高いことが判明しています。サクラはバラ科に属するため、高い変異率が期待され、サクラの品種改良を目的に、サクラ育種家のJFC石井農場(山形県山形市釈迦堂)の石井重久氏との共同研究の下、2004年3月から重イオンビーム照射実験を開始しました。その第1号として緑色のサクラ品種として親しまれている「御衣黄(ぎょいこう)※10」に炭素イオンを照射、その照射穂木を御衣黄と相性がよく、病気に強い「青葉桜」の台木に接木、栽培した結果、咲き始めは淡黄緑色で、終わり頃に淡黄ピンクが広がる黄色い桜「仁科蔵王」を作出しました(2007年10月31日プレス発表)。仁科蔵王の花色は、最も黄色いサクラといわれる「鬱金桜(うこんざくら)※11」に近く、変異形質は安定しました。2007年10月16日に品種登録出願を行い、2009年1月に登録が受理、公表されています。そこで、生物照射チームと石井氏は、炭素イオンを「啓翁桜※12」、「山形おばこ※13」などのサクラ品種に照射、商品価値のある変異個体の選抜を展開してきました。
研究手法と成果
(1)変異処理および栽培
山形県は、福岡県久留米市より、花の見栄えが良く、栽培が容易な「敬翁桜」を1962年に導入し、その後切り花などとして販売を開始しました。1995年までに石井氏は、これらの改良してきた山形敬翁桜を15系統に分類しました。そのうち、木肌が赤く美しい山形13系敬翁桜の穂木に、生物照射チームが2006年2月、仁科加速器研究センターRIビームファクトリーの理研リングサイクロトロン(RRC)で加速した炭素イオン(核子あたり135MeV、LET 22.5 keV/μm)を10Gy(グレイ)照射しました。その照射穂木10本を、石井氏が敬翁桜の台木に接木し、栽培しました。
(2)選抜および固定
1年後に生存していた枝は7本あり、そのうち、生長の良い3本について挿し木苗を増殖しました。2007年秋に、そのうち2系統(C10K13-1、C10K13-2)、すなわち、C10K13-1では増殖した17苗のうち16個体が、C10K13-2では18苗のうち16個体に2007年秋に花が咲きました。C10K13-1系統の個体は開花後枯死してしまいましたが、C10K13-2系統は温室で栽培を続けたところ、春にも再び花をつけました。温室でさらに栽培を続けると、花の分化がそろわず、連続して花が咲く四季咲き性を示しました。冬に野外栽培し、寒さにさらすと4月に一斉に開花することも確認でき、理研は、この新品種をピンク色の一重の可憐な花を咲かせることから「仁科乙女」と名づけました。
(3)仁科乙女の特長
一般的に日本のサクラは、夏に形成された花芽が晩秋に休眠し、冬の寒さにさらされて休眠打破することによって、早春に花芽が生長し、開花に至ります。すなわち、日本のサクラの開花は、この一定期間低温にさらされる休眠打破を必要とし、敬翁桜でも、8度以下が1,000時間必要です。一方、今回開発した仁科乙女は、低温にさらさなくても、いつでも花を咲かせることができます。また、低温にさらして4月に一斉開花させると、敬翁桜の約3倍量の花が咲きます。さらに、秋花が不稔性※14となった仁科乙女の個体は花持ちが良く、一花が美しく咲いている期間は敬翁桜が2週間であるのに対し、仁科乙女は4週間に延びました。
仁科乙女は野外栽培を行うと、開花時期は4月~5月、10月~11月の二季咲きとなります。温室で栽培すると個体ごとにさまざまな時期に花芽が分化するため、連続して花芽を分化させることが可能となります。敬翁桜は栽培が容易で、挿し木も75%の確率で成功しますが、仁科乙女はさらにこの効率が上昇し、90%の成功率を達成しています。
12月14日、理研と石井氏は、農林水産省に仁科乙女を品種登録出願しました。これは、重イオンビーム照射で生まれたサクラとしては、仁科蔵王に続き第2号の品種登録出願となります。
今後の展開
照射後4年で仁科乙女を品種登録出願できた理由は、重イオンビームを活用した品種改良技術が、目的以外の遺伝子に影響を及ぼすことが少なく、容易に変異形質を安定化でき、変異系統そのものを新品種とすることができたためです。従来の突然変異誘発方法による品種改良では、多数の遺伝子を破壊した影響を補完するために交配育種などが必要となり、一般的に新品種育成に10年を要するとされています。今回、サクラ穂木に照射し、生存7本のうち生長の良好な3本の枝より増殖した1系統で、四季咲きの変異株選抜に成功したことは、重イオンビームによる品種改良技術が非常に効率的であることを示しています。
山形でも1990年代ごろより冬の気温が上昇し、休眠打破に必要な低温にさらされる時間が足らなくなり、野外での栽培では敬翁桜の休眠打破が不十分となり、花が咲かなかったり、開花する花数が減少したりするケースが頻繁に観察されるようになってきました。また、九州地方でも同様に、ソメイヨシノの開花する花数が減少してきたともいわれています。このような気候の変動に対応するには、休眠打破に低温要求性の低い品種の育成が望まれます。仁科乙女は、温室で育成を続けても開花するため、休眠打破に低温要求性を示していないことになります。従って、いつでも花を咲かせることが可能です。ただし、約1カ月の開花期の後、葉が茂る栄養生長期を経て花芽分化という生殖生長期に移行し、再び開花するには5カ月を要します。つまり1株で1年にサクラの花を楽しめるのは、2回ということです。
重イオンビーム照射技術は、切り花として楽しめるサクラ、1年中咲き続けるサクラ、秋に咲くサクラ、熱帯地域でも咲くサクラなどの育種を可能にする技術としても注目されます。
発表者
理化学研究所
仁科加速器研究センター 応用研究開発室 生物照射チーム
チームリーダー 阿部 知子(あべ ともこ)
Tel: 048-467-9527 / Fax: 048-467-4674
お問い合わせ先
JFC石井農場および生産販売組合さくら石井 重久(いしい しげひさ)
Tel: 023-629-2527
報道担当
独立行政法人理化学研究所 広報室 報道担当
Tel:048-467-9272 / Fax:048-462-4715
(販売店)
株式会社クリエイティブ阪急
〒565-8540 大阪府吹田市佐竹台1丁目4番1号
Tel: 06-6834-0725(代)
補足説明
- 1.RIビームファクトリー
理研の既存加速器施設の後段に超伝導リングサイクロトロン(SRC)をはじめとするRI(放射性同位元素)ビーム発生施設、基幹実験設備などを整備し、水素からウランまでの全元素のRIを世界最大強度でビームを発生させ、それらを解析・利用することにより、究極の原子核モデルの構築および元素の起源解明を目指すとともに、RI利用技術の拡大に資することを目的としたプロジェクト。現在、基幹実験設備を整備中であり、2007年度のゼロ度スペクトロメータに続き、2008年度には分散整合ビームラインの整備が完了した。また、多種粒子測定装置(SAMURAI)やRI・電子散乱装置(SCRIT)、新入射器システムの整備に着手するなど、着実に計画が進捗している。 - 2.重イオンビーム
原子から電子をはぎ取って作られたイオンのなかで、ヘリウムイオンより重いイオンを重イオンと呼ぶ。これを、加速器を用いて高速に加速したものが重イオンビーム。 - 3.山形13系敬翁桜
木肌が赤く美しい系統。休眠打破の低温要求性は敬翁桜と同様で、8度で1000時間必要。 - 4.四季咲きサクラ
休眠打破に低温要求性が低く、いつでも開花を誘導することができる。 - 5.仁科乙女
“仁科”は理研加速器の父である仁科芳雄に由来、理研で発生する重イオンビーム育種技術で育成したサクラ品種のシリーズ化。ピンク色の一重の可憐な花を咲かせるので、「仁科乙女」と命名した。 - 6.重イオンビームを用いた突然変異誘発法
ほかの有用形質に影響を与えず変異を誘発し、育種年限の大幅な短縮を可能とする日本独自の開発技術。この技術を用いて、海水の50%程度の塩分濃度の塩害水田でも育成可能なイネや、強風でも倒伏しないソバの品種改良にも成功し、海水でも育成可能な植物や有害物質を吸収する植物など食料問題、環境問題などを解決する高機能変異体の創出が期待されている。なお、2009年6月には、「重イオンビームを用いた新しい育種法の開発」の業績により、阿部知子チームリーダーらは、第7回「産学官連携功労者表彰 文部科学大臣賞」を受賞した。 - 7.極低線量照射
線量とは、物質が受けた放射線の量を表す。物質1kgあたり1J(ジュール)の放射線を吸収した際の吸収線量を1Gy(グレイ)とする。従来のX線やガンマ線照射では、半分の個体が枯死する半致死線量で変異を選抜していた。重イオンビームでは1粒子が持っているエネルギーが大きいため、ほとんどの個体が生存する数Gy程度の極低線量照射でも十分変異選抜ができる。 - 8.仁科蔵王
“仁科”は理研加速器の父である仁科芳雄に、“蔵王”は山形で育種したものであることに由来する。理研の野依良治理事長が命名した。 - 9.穂木
接ぎ木のために採取した枝部分。養水分の供給能力のある台木に接ぐので、旺盛に生育し、挿し木苗に比べて開花が早められる。 - 10.御衣黄(ぎょいこう)
黄色と緑色が混じっている八重の花をつける。サクラ属サトザクラ種の栽培品種。開花時期はソメイヨシノより遅めの4月中旬から下旬。名前の由来は、衣服の萌黄色に近いためとされている。 - 11.鬱金桜(うこんざくら)
花弁に葉緑体を持ち淡黄色の花を咲かせる。花弁数が15~20枚で大輪の八重。オオシマザクラ系サトザクラの栽培品種。開花時期はソメイヨシノより遅い。名前の由来は、ウコンの根の染料である鬱金色の花をつけることにある。 - 12.啓翁桜
久留米より導入した敬翁桜のうち、山形県で最も普及した山形1系敬翁桜のこと。現在でも山形県の切り花サクラ生産量の大部分を占めている。 - 13.山形おばこ
啓翁桜の自然突然変異により育成した品種であり、わい性となり一才性を獲得。挿し木、接木の翌年には花を咲かせる。休眠が短いため暖地に鉢物、切り枝、庭園樹として、普及している。 - 14.不稔性
種子を形成しない性質のこと。花卉植物では、不稔になると花持ちが良くなるため、有用な形質である。重イオンビーム品種改良技術では、バーベナで不稔変異株を選抜、長い期間、沢山の花が咲く新品種となった。仁科乙女の不稔性は遺伝的なものではなく、栄養や環境によるもの。
(2007年11月6日撮影)
(2009年04月13日撮影)
図1 新品種「仁科乙女」
図2 「仁科乙女」と元品種との比較
(2009年04月13日撮影)
左:仁科乙女 右:敬翁桜(山形13系統)
低温にさらして4月に一斉開花させると、敬翁桜の約3倍量の花芽がつく。