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2016年5月27日

理化学研究所
東京大学
東北大学

遷移金属酸化物で量子ホール効果を実現

-強い電子同士の反発力を用いた量子デバイスへ道-

要旨

理化学研究所(理研)創発物性科学研究センターの高橋圭上級研究員(科学技術振興機構さきがけ研究者)、デニス・マリエンコ研究員、川﨑雅司グループディレクター(東京大学大学院工学系研究科教授)、サイード・バハラミー ユニットリーダー(東京大学大学院工学系研究科特任講師)、東北大学金属材料研究所の塚﨑敦教授らの共同研究グループは、チタン酸ストロンチウム(SrTiO3[1]の高品質単結晶薄膜を作製し、電子を平面上に閉じ込めた二次元電子[2]構造において、「量子ホール効果[3]」の観察に成功しました。

量子ホール効果とは、通常はミクロな世界だけで発現する量子効果が、特定の条件を満たすことで巨視的なスケールで現れる現象です。量子ホール効果は、高い移動度を示す二次元電子においてのみ実現するため、電子相関(電子同士の反発力)の弱く移動度の高いs軌道[4]p軌道[4]を由来とする電子が物性を支配する、砒化(ひか)ガリウム(GaAs)系化合物半導体やグラフェン[5]などの限られた材料でのみ観察されていました。

一方、遷移金属酸化物は、その物性を支配するd軌道[4]由来の電子(d電子)が強い電子相関を持つため、超伝導や強磁性など多彩な物性を示します。このd電子を二次元に閉じ込めることによって量子ホール効果が実現すれば、新しい二次元電子量子物性の開拓につながると考えられます。電子を添加(ドープ)したSrTiO3は伝導電子がd電子でありながら例外的に移動度が高いため、量子ホール効果の実現を狙った二次元電子構造の作製が、これまで盛んに試みられてきました。しかし、量子ホール効果が発現する条件である“低電子密度かつ高移動度”を同時に満たすことができませんでした。

今回、共同研究グループは純度の高い原料を用い、結晶性の高い遷移金属酸化物薄膜を作製する「ガスソース分子線エピタキシー(MBE)[6]装置」を開発しました。この装置を用いて高品質な量子井戸構造[7]である「デルタドープSrTiO3構造」を作製し、整数量子ホール効果[3]を観察しました。電子相関の強い遷移金属酸化物における量子ホール効果の実現は二次元電子と強磁性や超伝導が融合した新しい物性の開拓につながる成果で、エネルギーをほとんど使用しない論理回路やメモリ応用への発展が期待できます。

本研究は、最先端研究開発支援プログラム(FIRST)課題名「強相関量子科学」の事業の一環として行われました。

成果は、国際科学雑誌『Nature Communications』に掲載されるのに先立ち、オンライン版(5月27日付け:日本時間5月27日)に掲載されます。

※共同研究グループ

理化学研究所 創発物性科学研究センター
強相関物理部門強相関界面研究グループ
上級研究員 高橋 圭(たかはし けい)(科学技術振興機構 さきがけ研究者)
大学院生リサーチ・アソシエイト(研究当時) 松原 雄也(まつばら ゆうや)
研究員 デニス・マリエンコ(Denis Maryenko)
グループディレクター 川﨑 雅司(かわさき まさし)(東京大学大学院工学系研究科教授)

統合物性科学研究プログラム 創発計算物理研究ユニット
ユニットリーダー サイード・バハラミー(Saeed Bahramy)(東京大学大学院工学系研究科特任講師)

強相関物理部門 強相関物性研究グループ
グループディレクター 十倉 好紀(とくら よしのり)(東京大学大学院工学系研究科教授)

東京大学大学院工学系研究科
特任講師 小塚 裕介(こづか ゆうすけ)

東北大学 金属材料研究所
教授 塚﨑 敦 (つかざき あつし)

背景

量子ホール効果は、電子を二次元平面に閉じ込めて面内のみに運動を制限した構造を極低温に冷却し、二次元平面に垂直に強い磁場を与えると現れる物理現象です。量子ホール効果は、ホール抵抗[3]の値が物質の種類や試料のサイズに関係なく物理定数のみで決まるため、高精度でその実測が可能となる量子効果であり、物性物理学の大きな分野として発展するとともに抵抗標準として実用化されました。

量子ホール効果を実現するには、移動度が十分に高い希薄な二次元電子ガスを形成することが必要です。しかし、これまでは電子相関の弱いs軌道やp軌道の電子を伝導電子に持つ、高純度のシリコンや砒化(ひか)ガリウム(GaAs)系半導体、グラフェンなどの限られた物質でしか観察例がありませんでした。

一方、遷移金属酸化物はd軌道の電子(d電子)を伝導電子に持つため、電子同士の反発力である電子相関が強く、その結果として超伝導や強磁性など多彩な物性を示すことが知られています。この電子相関の強いd電子で量子ホール効果が実現すれば、新しい二次元電子量子物性の開拓につながると考えられます。チタン酸ストロンチウムSrTiO3の二次元電子は、d電子でありながら例外的に移動度が高いため、これまで量子ホール効果の実現を狙った試みが多数あります。しかし、量子ホール効果の発現条件である“低電子密度かつ高移動度”を同時に満たすことはできませんでした。

研究手法と成果

共同研究グループは初めに、純度の高い原料を用いて結晶性の高い遷移金属酸化物薄膜の作製を可能にする「ガスソース分子線エピタキシー(MBE)装置」の開発に取り組みました。

通常、MBEでは薄膜を構成する各元素について高純度原料を加熱蒸発させることで薄膜を作製します。すると、結晶成長時の原子の運動エネルギーが低いため、欠陥が少ない薄膜を得ることができます。しかし、これまでの遷移金属酸化物を用いたMBEでの薄膜作成は、構成元素である遷移金属の蒸気圧が低く原料供給速度が安定しませんでした。そのため、組成ズレが起きることで薄膜に欠陥が生じていました。

そこで共同研究グループは、遷移金属単体を加熱蒸発させる代わりに、蒸気圧の高い揮発性の有機金属ガスソース(チタンイソプロポキシド[8])を用いる「ガスソースMBE」が、組成ズレの抑制に有効であると考えました。また、半導体レーザーを用いた基板加熱による高温成長を組み合わせることで、結晶性のさらなる向上に取り組みました。

高品質な量子井戸構造を作製するため、井戸部分にだけ電子を放出するドナー(La)を添加した厚さ200ナノメートル(nm、1nmは10億分の1メートル)ほどのデルタドープSrTiO3構造(SrTiO3:厚さ100nm/LaドープSrTiO3:厚さ10nm/SrTiO3:厚さ100nm)を設計し、ガスソースMBEにより作製しました。図1に示すトランジスタ構造において、電子濃度を制御して、極低温・磁場下で電気特性を測定したところ、整数量子ホール効果の観測に成功しました。図2のグラフは、試料の縦抵抗値(シート抵抗値)とホール抵抗値の磁場依存性を示しています。すなわち、ホール抵抗値が量子抵抗(h/e2)の4分の1(-0.25、+0.25)と6分の1(-0.167、+0.167)で量子化しており、それらの磁場(-12T、+12T、-7T、+7T)でシート抵抗値が極小値を示しています。

第一原理理論計算[9]でこの二次元構造の電子状態計算を行った結果、SrTiO3のチタンの2つの異なる3d電子バンドを二次元電子が占有していることが分かりました。この2バンドモデルにより、偶数倍でのみ量子化し、電界効果[10]で電子濃度を変化させた際に安定な占有状態が変化するという、デルタドープSrTiO3構造独特の振る舞いが説明できました。シート抵抗の磁場による振動振幅の温度依存性と第一原理理論計算から、その二次元電子の2つのバンドの有効質量[11]は、それぞれ自由電子の質量の約0.6倍と1.2倍と見積もられました。この質量は、他の量子ホール効果を示す二次元電子に比べて1桁以上重く、強い電子相関効果が発現していることを示します。

今後の期待

今回、通常のMBEでは難しかった組成ズレのない遷移金属酸化物の薄膜の作製が、ガスソースMBEによって可能になりました。また、半導体レーザーを用いた基板加熱により、高品質結晶の作製が可能になりました。この2点は、今後の遷移金属酸化物を用いた量子効果デバイス開発に向けたブレークスルーといえます。また、この成果をSrTiO3の量子井戸構造での量子ホール効果の発現という実現が最も難しい物性発現へと結び付けたことは、薄膜作製における1つの到達点を示したといえます。

電子相関が強いd電子系の量子ホール効果の実現は、二次元電子と強磁性や超伝導とが融合した新しい物性の開拓につながる成果であり、エネルギーをほとんど使用しない論理回路やメモリ応用へと発展する可能性があります。

また、ガスソースMBEをチタン酸ストロンチウムだけでなく、他の遷移金属酸化物の薄膜作製に応用することにより、半導体を上回る高品質ヘテロ接合[12]の研究領域をd電子系に拡張することで、新たな量子効果の開拓や酸化物エレクトロニクス分野の発展にも貢献すると期待できます。

原論文情報

  • Y. Matsubara, K. S. Takahashi, M. S. Bahramy, Y. Kozuka, D. Maryenko, J. Falson, A. Tsukazaki, Y. Tokura, and M. Kawasaki, "Observation of the quantum Hall effect in δ-doped SrTiO3", Nature Communications, doi: 10.1038/NCOMMS11631.

発表者

理化学研究所
創発物性科学研究センター 強相関物理部門 強相関界面研究グループ
上級研究員 高橋 圭(たかはし けい)
(科学技術振興機構さきがけ研究者)
研究員 デニス・マリエンコ(Denis Maryenko)
グループディレクター 川﨑 雅司(かわさき まさし)
(東京大学大学院工学系研究科教授)

創発物性科学研究センター 統合物性科学研究プログラム 創発計算物理研究ユニット
ユニットリーダー サイード・バハラミー(Saeed Bahramy)
(東京大学大学院工学系研究科特任講師)

東北大学 金属材料研究所
教授 塚﨑 敦(つかざき あつし)

高橋上級研究員の写真 高橋上級研究員
マリエンコ研究員の写真 マリエンコ研究員
川﨑グループディレクターの写真 川﨑グループディレクター
バハラミー ユニットリーダーの写真 バハラミー ユニットリーダー
塚﨑教授の写真 塚﨑教授
小塚特任講師の写真 小塚特任講師
松原大学院生リサーチ・アソシエイトの写真 松原大学院生リサーチ・アソシエイト
十倉好紀グループディレクターの写真 十倉好紀グループディレクター

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
Tel: 048-467-9272 / Fax: 048-462-4715

東京大学大学院工学系研究科 広報室
Tel: 03-5841-1790 / Fax: 03-5841-0529
kouhou [at] pr.t.u-tokyo.ac.jp(※[at]は@に置き換えてください。)

補足説明

  • 1.チタン酸ストロンチウム(SrTiO3
    代表的なペロブスカイト酸化物の1つで、誘電率が高いためチップコンデンサーの誘電体材料として広く応用されている。単結晶は酸化物薄膜を作製する際の基板として最も広く用いられている。禁制帯幅(バンドギャップの大きさ)3.2eVの半導体であり、La(ランタン)などのドナーを添加することで電子が添加(ドープ)され金属状態を発現する。
  • 2.二次元電子
    異なる種類の物質を接合した界面やバンドギャップ(電子が存在できないエネルギー帯)の異なる物質の積層構造によって、界面に平行な二次元平面のみに運動方向を制限された電子。
  • 3.量子ホール効果、整数量子ホール効果、ホール抵抗
    二次元状に閉じ込めた電子に垂直の強い磁場を与えたとき、電子は運動方向に垂直なローレンツ力を受けてサイクロトロン運動と呼ばれる円運動をする。これをホール効果、それによって生じる抵抗をホール抵抗という。電子が1回転する間に散乱がないような移動度が極めて高い系においては、電子の波としての性質を反映した干渉効果が起こり、エネルギーがとびとびの値(量子化)となるランダウ準位が形成される。このホール抵抗が量子化する現象を量子ホール効果と呼ぶ。このときのホール抵抗が、電子の素電荷eとプランク定数hだけで与えられるh/e2という量の整数分の1になることを整数量子ホール効果と呼ぶ。1980年にシリコンを用いた素子で初めて報告され、1985年のノーベル物理学賞の対象にもなった。
  • 4.s軌道、p軌道、d軌道
    電子軌道の種類。s軌道とは電子殻について球状の波動関数一つの軌道のみを持つ。例えば、ヘリウム原子はs軌道に2個の電子が入り閉殻構造をとっている。p軌道はx軸、y軸、z軸に軸対称な波動関数の3つの軌道を持つ。d軌道は5つの異なる配意の軌道が存在し、スピン角運動量の自由度と合わせて最大10個の電子を収容できる。そのd軌道に電子が0個または10個以外に収容された閉殻になっていない元素を遷移金属と呼ぶ。鉄、コバルトといった遷移金属の強磁性の性質、銅酸化物の高温超伝導体の物性は、d軌道の電子(d電子)が重要な役割を果たしている。
  • 5.グラフェン
    炭素原子が蜂の巣状に2次元配列した構造を持つ物質。原子1層分の厚みしかない二次元シートであり、高速で動くワイル電子が存在すること、化学的、機械的な耐性に優れているといった理由からシリコンに代わる次世代材料として注目されている。2010年のノーベル物理学賞の対象にもなった。
  • 6.分子線エピタキシー(MBE)
    半導体の薄膜結晶成長に使われる手法。超高真空内で高純度元素を加熱蒸発させると、蒸発分子が高真空のために他の気体分子に衝突することなく、ビーム状の分子線として基板に到達する。いくつかの原料の分子線を同時供給することによって、組成制御された化合物薄膜を基板上に成長できる。原料の高純度化や結晶の高品質化が可能である。MBEはMolecular Beam Epitaxy略。
  • 7.量子井戸構造
    井戸型に形成されたポテンシャルに閉じ込められ、電子の移動が束縛された状態。例えば、膜厚が数ナノメートルのバンドギャップの小さな半導体薄膜をバンドギャップの大きなバリア層で挟むように作製すると、電子はバンドギャップの小さな薄膜領域に形成された井戸型ポテンシャルに閉じ込められて量子化する。
  • 8.チタンイソプロポキシド
    化学式がTi{OCH(CH3)2}4の化合物である。有機合成や材料科学の分野で利用され、特に有機金属気相成長法(MOCVD)のチタン化合物薄膜合成の原材料として広く使われる。
  • 9.第一原理理論計算
    実験結果に頼らないで、量子力学の基本原理から分子や結晶の性質を計算する方法。実験が困難な極限状況での物質の性質を予測することができるのが特徴。最近のコンピューターの処理能力の向上と計算科学の進展により材料研究の強力な手法になってきている。
  • 10.電界効果
    電場(電界)によって材料の表面や接合界面に電荷が集まる効果。絶縁体を2つの電極で挟んで電圧をかけると、正の電圧がかかった電極にはプラスの電荷が、負の電圧がかかった電極にはマイナスの電荷が蓄積する。この電極の片方を半導体で置き換えると蓄積した電荷は半導体の中を自由に動き回る伝導キャリアとして振る舞う。このように電界によって伝導キャリアを集める手法を電界効果と呼び、電圧によって半導体中の電流の流れを制御するトランジスタに広く使われている(電界効果トランジスタ)。
  • 11.有効質量
    真空中の自由電子の(静止)質量に対し、結晶中の電子は周りのイオンや電子と相互作用するため、見かけ上自由電子の質量と異なる質量を持っているように観測される。特に電子が電子相関(電子同士の反発力)によって動きにくくなると、有効質量は大きくなる。
  • 12.ヘテロ接合
    異なる物質同士の積層接合。母物質が同じで元素の置換量が異なる物質同士の接合もヘテロ接合と呼ぶ。トランジスタや半導体レーザーなど多くの機能性デバイスは半導体ヘテロ接合で実現されている。
デルタドープSrTiO3構造における電気特性測定の模式図の画像

図1 デルタドープSrTiO3構造における電気特性測定の模式図

本研究で用いた二次元電子試料は、ガスソースMBE装置により作製したデルタドープSrTiO3構造である。薄いLa-SrTiO3層(黄色)に二次元電子が形成される。電気特性を測定するためのトランジスタ構造では、その二次元電子密度を制御するために基板裏面の銀ペースト電極にゲート電圧(VG)を加える。

デルタドープSrTiO3構造でみられた整数(偶数)量子ホール効果の図

図2 デルタドープSrTiO3構造でみられた整数(偶数)量子ホール効果

作製したデルタドープSrTiO3構造でみられた縦抵抗値(シート抵抗値)とホール抵抗値の磁場依存性を示す。青線で示したホール抵抗が階段状になり、赤線のシート抵抗が振動し、ホール抵抗が一定値をとる印加磁場(-12T、-7T、+7T、+12T)でシート抵抗が極小値を示している。その階段状のホール抵抗値が量子抵抗(h/e2)の4分の1(-0.25、+0.25)と6分の1(-0.167、+0.167)を示し、量子化準位の形成が観測された。量子化していない通常のホール抵抗では右斜めの直線にしかならないが、量子化すると量子抵抗の整数分の1のところで一定値をとるようになる。また、量子化する磁場でシート抵抗はゼロに近づくように大きな極小構造(谷構造)をとる。

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