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2023年6月1日

理化学研究所
科学技術振興機構(JST)

シリコン量子ビットのフィードバック型初期化技術を開発

-量子コンピュータデバイスの不完全性に処方箋-

理化学研究所(理研)量子コンピュータ研究センター 半導体量子情報デバイス研究チームの小林 嵩 研究員、樽茶 清悟 チームリーダーらの研究チームは、シリコン中の電子スピン[1]による量子ビット[2]を測定結果に基づくフィードバック操作[3]によって初期化する技術を開発しました。

本研究成果は、量子コンピュータ[4]を実装する上で解決すべきデバイスの不完全性に対する処方箋を示しており、大規模な量子コンピュータの実現に貢献すると期待できます。

量子コンピュータのフィードバック操作は、量子誤り訂正[5]をはじめとした重要なプロトコルに要求される技術です。しかし、デバイスの不完全性により量子ビット測定が不正確な場合に必要な操作を実行できないことが予想され、実装への障害となっていました。

今回研究チームは、シリコン量子ビットのフィードバック操作を実現し、それを量子ビットの初期化処理に利用して性能を評価しました。問題であった量子ビット状態の推定の精度を、量子非破壊測定[6]を繰り返すことで向上させ、量子ビット測定が不正確な場合でも高い成功率で量子ビットを動的に初期化することに成功しました。

本研究は、科学雑誌『npj Quantum Information』オンライン版(6月1日付:日本時間6月1日)に掲載されました。

複数回の量子非破壊測定に基づくフィードバック操作を用いた初期化の図

複数回の量子非破壊測定に基づくフィードバック操作を用いた初期化

背景

量子コンピュータは量子力学の原理を生かし、多数の情報を同時に符号化することで、従来のコンピュータでは困難な計算を高速に実行する次世代のコンピュータです。現在、その実用化に向けた研究開発が世界中で盛んに行われています。

量子コンピュータは、その最小構成単位である量子ビットをどのような物理系で実現するかによって分類されます。中でも、シリコン中の電子スピンを使って量子ビットを作るシリコンスピン量子コンピュータは、既存の半導体産業の集積技術と相性が良いことから、大規模量子コンピュータの実装に適していると考えられています。

しかしながら、現実に大規模な量子コンピュータを作ろうとすると、一般的にデバイス中の不純物や不均一性などの不完全性によって、設計通りの性能が得られないことが想定されます。この問題に対処するには、デバイスの製造技術を高めて不完全性を抑制するという方針に加え、不完全なデバイスでも性能を発揮できるような操作を開発することが考えられます。

量子ビットの状態を測定し、その結果に基づいて量子ビットを操作するフィードバック操作は、量子誤り訂正をはじめとした重要なプロトコルに要求される技術です。しかし、デバイスの不完全性により量子ビットの測定が不正確な場合は、必要な操作を実行できないことが予想され、実装の障害となっていました。このことから、測定が不正確な場合でも正確にフィードバック操作を実行する方法を見いだすことができれば、大規模な量子コンピュータの実現に向けた前進になります。

研究手法と成果

研究チームは、測定結果に基づくフィードバック操作を実現し、それを利用してシリコンスピン量子ビットの初期化処理を実装しました(図1)。量子ビットの初期化は量子コンピュータを動作させるために必須な処理で、特にフィードバック操作を用いて行うものは量子誤り訂正との技術的な共通点が多く、この処理を正確に実行することは重要な試金石になると言えます。初期化処理ではまず、初期化したい量子ビットの状態を量子非破壊測定注1)で測定します。次に、任意波形発生器がその測定結果に依存した波形を出力して、量子ビットの操作回路中のスイッチの状態を決定します。この結果、量子ビットは測定結果に応じて量子操作を受け、元の状態によらず特定(図1では下向き)の状態に初期化されます。

フィードバック操作による量子ビットの初期化処理の概略図の画像

図1 フィードバック操作による量子ビットの初期化処理の概略図

量子ビットの量子非破壊測定の結果を利用して、シーケンサーが任意波形発生器から出力される信号を決定する。信号は量子ビットの制御回路中のスイッチにフィードバックされ、量子操作に測定結果に応じた条件付け(スピンが上向きなら反転、下向きなら保持)を行う。この図の場合は元の状態によらず、下向きへ初期化される。

この初期化処理は、測定から結果に応じた反転操作までにかかる時間(treset)が、スピンの散乱時間(10ミリ秒程度)よりも十分に短くなければ成功しません。本研究では、FPGA[7]による高速データ処理注2)と、シーケンサー[8]による任意波形発生器の制御の組み合わせにより、スピン散乱時間の100分の1のtreset(0.1ミリ秒程度)を実現し、初期化操作に成功しました(図2)。

初期化処理後の量子ビットの動作の図

図2 初期化処理後の量子ビットの動作

初期化処理後に量子ビットに回転操作を加え、その操作に起因するスピン上向き状態と下向き状態の間の振動の見えやすさで初期化の正確さを評価した。フィードバック操作を行った場合(オレンジ線)は明瞭な振動が見えるのに対し、フィードバック操作を行わない場合(黒破線)には振動がほとんど見えなかった。

ごく最近、フィードバック操作による初期化処理の実現が報告されました注3)が、初期化の正確さについては低い値にとどまっていました。そこで、初期化が失敗する原因について理論的に考察し、フィードバック操作の基となる測定の正確さが確かに重要な役割を果たすことを突き止めました。

量子非破壊測定は、その性質上、繰り返して行うことで量子ビットの状態をより正確に見積もることが可能です注1)。この性質をフィードバック信号生成にも利用するために、初期化処理に複数回の測定を組み込む手法を開発しました(図3a)。この手法を用いて量子ビットの初期化を行ったところ、単発の測定よりも大幅に正確に初期化を実行することができました(図3b)。

複数回の測定に基づくフィードバックを用いた初期化の図

図3 複数回の測定に基づくフィードバックを用いた初期化

  • (a)複数回の測定によってフィードバック信号を生成する初期化処理の概略図。11回の量子非破壊測定の結果がシーケンサーに入力され、それらをもとに任意波形発生器の出力を決定する。
  • (b)初期化処理後に量子ビットに回転操作を加えた際のスピンの振動の様子。初期化が正確であることを反映して、1に近い振幅が得られた。

今後の期待

本研究では、半導体集積技術を適用可能な材料系であるシリコンを用いて、フィードバック操作により量子ビットを正確に初期化することができました。達成された正確さは単発の測定から期待されるよりも高く、従って本研究で開発された手法はデバイスが不完全で正確な測定が困難な場合でも、必要な量子操作を正確に実行するための処方箋を提供しているといえます。

シリコンスピン量子コンピュータでは、最近実現された高精度スピン制御の実現注4)や量子誤り訂正の実証注5)などによって重要な要素技術が確立しつつあるといえます。今後は、産業界との連携によって、シリコンスピン量子コンピュータの大規模化に向けた研究が加速すると期待できます。

補足説明

  • 1.電子スピン
    電子の自転に相当する内部自由度。二つの状態のみを取り、自転の軸方向になぞらえて、上向きあるいは下向きの状態と呼ぶ。
  • 2.量子ビット
    電子スピンの向きなどに符号化された量子情報の最小単位のこと。通常のデジタル回路では「0もしくは1」の2状態に情報が保持されるのに対し、量子ビットでは「0でありかつ1でもある」状態を任意の割合で組み合わせて表現できる。これを量子力学的な重ね合わせ状態と呼び、通常量子ビットの状態は任意の向きの矢印によって表される。
  • 3.フィードバック操作
    量子ビットの状態を測定し、その結果に基づいて量子ビットを操作すること。
  • 4.量子コンピュータ
    量子力学的原理を利用して多数の情報を同時に符合化することで、従来のコンピュータでは天文学的な計算時間がかかるような問題を、短時間で計算できるコンピュータ。ここでは特に、任意の量子アルゴリズムを実装できるゲートモデルによる量子計算を行うものを指す。
  • 5.量子誤り訂正
    雑音に対して極めて敏感な量子コンピュータに生じたエラーを、量子力学的性質を損なうことなく検出し訂正するアルゴリズム。実用的な大規模量子コンピュータを実現するためには必要不可欠と考えられている。
  • 6.量子非破壊測定
    量子力学的な状態に対する測定で、例外的に、測定される物理量に乱れを及ぼさないもの。一方、一般的な測定では測定される対象の物理量が測定の前後で変化してしまう。
  • 7.FPGA
    論理回路の構成をプログラムすることが可能な集積回路。ソフトウェアによるプログラムと比べて、高速なデータ処理やハードウェア制御をリアルタイムに実行するのに適している。FPGAはField Programmable Gate Arrayの略。
  • 8.シーケンサー
    事前のプログラムに従い、入力されたデータに応じて別の装置を制御するハードウェア。ここでは特に、FPGAで処理されたデータを入力し、その値によって任意波形発生器が出力する波形を切り替えるような操作を行っている。

研究チーム

理化学研究所
量子コンピュータ研究センター 半導体量子情報デバイス研究チーム
研究員 小林 嵩(コバヤシ・タカシ)
チームリーダー 樽茶 清悟(タルチャ・セイゴ)
(創発物性科学研究センター 量子機能システム研究グループ グループディレクター)
創発物性科学研究センター 量子機能システム研究グループ
上級研究員 中島 峻(ナカジマ・タカシ)
上級研究員 武田 健太(タケダ・ケンタ)
研究員 野入 亮人(ノイリ・アキト)
研究員(研究当時)米田 淳(ヨネダ・ジュン)
(現 東京工業大学 超スマート社会卓越教育院 特任准教授)

研究支援

本研究は、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業CREST「量子状態の高度な制御に基づく革新的量子技術基盤の創出(研究総括:荒川泰彦)」の研究課題「スピン量子計算の基盤技術開発(No. JPMJCR1675、研究代表者:樽茶清悟)」、戦略的創造研究推進事業 個人型研究(さきがけ)の「革新的な量子情報処理技術基盤の創出」研究領域(No. JPMJPR2017)および「情報担体とその集積のための材料・デバイス・システム」研究領域(No. JPMJPR21BA)、ムーンショット型研究開発事業目標6「2050年までに、経済・産業・安全保障を飛躍的に発展させる誤り耐性型汎用量子コンピュータを実現(プログラムディレクター:北川勝浩)」の研究開発プロジェクト「拡張性のあるシリコン量子コンピュータ技術の開発(No. JPMJMS226B、プロジェクトマネージャー:樽茶清悟)」、文部科学省光・量子飛躍フラッグシッププログラム(Q-LEAP)技術領域「量子情報処理(主に量子シミュレータ・量子コンピュータ)(研究総括:伊藤公平)」の研究課題「シリコン量子ビットによる量子計算機向け大規模集積回路の実現(No. JPMXS0118069228、研究代表者:森貴洋)」、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業(No. 17K14078、18H01819、19K14640、20H00237、22H01160、23H01790、23H05455)による助成を受けて行われました。

原論文情報

  • T. Kobayashi, T. Nakajima, K. Takeda, A. Noiri, J. Yoneda, and S. Tarucha, "Feedback-based active reset of a spin qubit in silicon", npj Quantum Information, 10.1038/s41534-023-00719-3

発表者

理化学研究所
量子コンピュータ研究センター 半導体量子情報デバイス研究チーム
研究員 小林 嵩(コバヤシ・タカシ)
チームリーダー 樽茶 清悟(タルチャ・セイゴ)

小林 嵩 研究員の写真 小林 嵩
樽茶 清悟 チームリーダーの写真 樽茶 清悟

報道担当

理化学研究所 広報室 報道担当
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科学技術振興機構 広報課
Tel: 03-5214-8404 / Fax: 03-5214-8432
Email: jstkoho [at] jst.go.jp

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科学技術振興機構 戦略研究推進部 グリーンイノベーショングループ
安藤裕輔(アンドウ・ユウスケ)
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Email: presto [at] jst.go.jp

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