理化学研究所(理研)光量子工学研究センター 先端光学素子開発チームの海老塚 昇 研究員と開拓研究本部 石橋極微デバイス工学研究室の岡本 隆之 専任研究員(研究当時)の研究チームは、国宝油滴天目(ゆてきてんもく)茶碗[1]の青紫色の光彩、いわゆる曜変(ようへん)の発色を油滴(油の滴に似た斑点)の反射と釉薬(ゆうやく、うわぐすり)の2次元回折格子[2]構造によって説明しました。
本研究成果は油滴天目茶碗や曜変天目(ようへんてんもく)茶碗の鑑賞のために最適な照明を提案できる上、釉薬の配合や焼成(焼き締め、焼結)方法を解明する糸口になると期待されます。
曜変とは漆黒の釉薬が厚くかかった建盞(けんさん。中国の宋時代の10~13世紀に建窯(けんよう。中国福建省にあった名窯)において焼成された、鉄質黒釉(こくゆう)の天目茶碗)の内面に大小さまざまな斑点が浮かび、その周りが暈(かさ)のように青く輝き、その青紫色の光彩が茶碗を動かすと位置を変転させるものを指します。従来、曜変は釉薬表面に形成された薄膜の表面と裏面で反射した二つの光の波の重ね合わせによる干渉色と考えられてきました。
今回、研究チームは国宝油滴天目茶碗の油滴の構造を、その写真と建盞の陶片の電子顕微鏡画像から、推定しました。釉薬表面のシワと金属鉄膜から成る裏面に反射層を持つ2次元回折格子であると仮定すると、照明の反射光の周囲に見られる青紫色の光彩を説明できることを明らかにしました。
本研究は日本光学会誌『光学』(9月10日付)に掲載されました。
背景
天目茶碗の多くは黒釉が厚く掛かっています。特に中国の宋時代に福建省の建窯で焼成された鉄質黒釉の天目茶碗は建盞と呼ばれます。国宝の茶碗8点の半分を建盞が占め、このうち3点が曜変天目茶碗、1点が油滴天目茶碗です。
油滴天目茶碗は光沢のある黒釉に油の滴に似た斑点が現れるのが特徴です。図1上段は国宝の油滴天目茶碗です。面光源(面全体から発する照明)の反射光の周囲にある油滴に青色の光彩が見られます。図1下段の木葉天目茶碗(吉州窯、重要文化財)は面光源の反射光(左図の内側上方と右図の外側中央右)の位置に光彩が見られます。
本研究は、写真家の西川茂氏がL・エコライト(栗原工業製のLED面光源)を照明に使用すると、国宝油滴天目茶碗や重要文化財の木葉天目茶碗の彩色が鮮やかに撮影できることに気付き、研究チームが天目茶碗の彩色と照明の関係を調査したことから始まりました。先行研究に掲載された、釉薬の表面にできた2次元のシワの電子顕微鏡画像を精査し、2次元のシワの回折による光彩について検討しました。
図1 油滴天目茶碗(上段)と木葉天目茶碗(下段)
- 上段:国宝油滴天目茶碗(撮影:西川茂氏、大阪市立東洋陶磁美術館収蔵品画像オープンデータ)。面光源の反射光の周囲の油滴に薄膜干渉では説明できない青色の光彩が見られる。
- 下段:重要文化財木葉天目茶碗(撮影:西川茂氏、大阪市立東洋陶磁美術館収蔵品画像オープンデータ)。面光源の反射光(左図の内側上方と右図の外側中央右)の位置に薄膜干渉によって説明できる光彩が見られる。
研究手法と成果
従来、曜変に見られる青紫色の光彩は薄膜干渉[3]によるものと考えられてきました。シャボン玉のように屈折率が1.5程度の単層の薄膜干渉は、表面と裏面でそれぞれ反射した二つの光の波の干渉(2光束干渉)です。陶磁器の表面に薄膜がある場合、薄膜干渉の彩色が見られる方向と反射光の方向が同じであるため、薄膜の表面と裏面の反射率が異なると干渉色が見にくくなります。図1下段の木葉天目茶碗には反射光の位置に薄膜干渉によって説明できる光彩が見られます。しかし、曜変の暈のような光彩は薄膜干渉では説明できません。
陶芸家の長江惣吉氏らの論文(東洋陶磁学会誌2011年)によると、蓼冷汁天目(たでひやじるてんもく)と呼ばれる陶片の青銀色の光彩を示す部分の走査型電子顕微鏡(SEM)画像には、砂の風紋や形状が脳を連想させる脳サンゴの表面のシワに似た周期600~800nm(ナノメートル。1nmは10億分の1メートル)のシワが見られます。蓼冷汁天目には茶色味を帯びた透明感のある緑色の釉薬の上に現れた銀色の細い線条があります。ウサギの毛のように見えることから中国では兎毫盞(とごうさん)といいます。日本では穀物の穂の細い毛に見立てて禾目(のぎめ)天目と呼んでいます。
陶片試料に見られる兎毫(禾目)は、実体顕微鏡画像から、焼成時に流れて引き延ばされた細長い油滴と考えられます。釉薬断面の暗視野走査透過電子顕微鏡(DF-STEM)画像から、シワの高低差は100nm程度であり、ガラス質(非晶質、アモルファス)の釉薬の表面に厚さ40nm程度の多結晶層(エネルギー分散型X線分光(EDS)分析から結晶中の一部のFeがSi、Mg、Al、Mn、Cuなどに入れ替わった磁鉄鉱質(Fe3O4)の多結晶と推察されます)が形成されています。このシワは、表面の多結晶層よりガラス質の線膨張係数(線状の物質の温度を1℃上げた時の長さの増加率)が大きく、冷却の過程でガラス質の体積収縮が大きいために形成されたと推察されます。
油滴は、融解した釉薬にできた泡の中の気体が酸性であるため、酸化第二鉄(Fe2O3、赤サビ)の結晶が析出すると考えられています。油滴の斑点の色は、加える成分によって変化し、青味を帯びた色や銀色も作られています。これらの油滴に関する記述、および蓼冷汁天目の陶片の電子顕微鏡画像から、研究チームは、光彩が見られる油滴部分が、図2のように裏面に金属鉄の反射層を持つ2次元の正弦波の形をしたシワ構造であると考えました。
図2 裏面に反射層がある2次元回折格子
入射光は入射と出射の両方で回折光と屈折光に分離する。なお、図を簡素化するために入射光と屈折光、透過の1次回折光(ここでは屈折角より小さい角度の回折光)以外は描いていない。反射の1次回折光も回折→屈折光や屈折→回折光と同じ方向に進む。また、透過の-1次回折光(回折光の次数は隣り合う格子で生じる光路差が波長の整数倍の場合に強め合う条件なので±がある)は図の反射光の右方向に現れる。
そのように推測した釉薬の断面構造を検証するために、油滴天目茶碗の写真に写った光彩が回折格子構造によって説明できることを示します。図3の写真は図1上段右の写真を画像編集ソフトにより彩度[4]を上げた画像です。この写真から、油滴天目茶碗の内側に写った面光源の変形した反射光や青緑色の光彩の位置を計測しました。
図1および図3の写真は図4のようにレンズ交換式デジタルカメラ、LED面光源を用いて撮影されました。図3から面光源の反射光と青緑色の光彩の両端の位置を測り、その値を表1上段に示しました。表1上段の値は図4の座標を用いているために左が正、右が負となっています。図4の配置から、面光源の両端から発した波長400nmの光線の回折光が面光源の反射光の両端近傍に位置する場合、シワの周期は900nmでした。
図3 国宝油滴天目茶碗の内側に見られる照明の反射光と青紫の光彩の位置
画像編集ソフトにより彩度を上げた図1の写真。茶碗の直径を示す線から9.8mm下の水平線上において面光源の反射光の端から両側に青色、水色、青緑色、緑色、黄色、橙色の順に光彩が見られる。青緑色の光彩は茶碗の中心から左端の見かけの位置が27.5mm、右端が12.2mmである。
シワの周期が900nm、深さが100nmの図2のような裏面に金属鉄の反射層がある1次元の回折格子について、垂直入射光に対する回折効率を計算[5]しました。その結果、波長400nm(青紫)の効率が700nm(赤)の効率の約2倍であることが分かりました。さらに2次元の回折格子に入射光が垂直に入射する場合には、回折光が円錐状に広がるために、青より赤の回折光の方が円錐の頂角が大きく、回折格子からの距離が等しい場合に回折光の強度は波長に反比例します。そのため、入射光の強度が等しい場合に波長400nmの回折光の強度は700nmの約3.5倍になります。
図4 油滴天目茶碗の内面に写った面光源の反射光から求めた面光源、茶碗、カメラの位置
- 上:側面図。ほぼ真横から撮影された写真から茶碗の外面の中間部は頂角が約77°の円錐であり、内面は頂角80°の円錐と仮定すると、内面の円錐の中心線と交差する照明から茶碗に向かう光線と茶碗からカメラに向かう光線の反射位置における二等分線は中心線に対する傾きが50°である。直径80mmの円弧上の面光源の反射光と茶碗上面の中心の距離が9.8mmであることから、茶碗に向かう光線および茶碗からカメラに向かう光線は二等分線に対してそれぞれ10.6°傾いている。
- 下:上面図。上段において直径80mmの円と接する水平線および図3において、この円と接する二等分線を含む平面内において二等分線をx軸、水平線をy軸とし、円と接する茶碗内面の楕円の式を図形から求めた。楕円が含まれる平面内に面光源から発し、茶碗で反射あるいは回折してカメラに入射する光線を投影し、茶碗に写った面光源の反射光の位置から、面光源と茶碗、カメラの配置を求めた。
表1下段は周期900nmのシワによる波長400nmと700nmの図4下段の面光源の両端A点とB点から発した光線の回折光のx=0におけるy軸上の位置を示します。表1下段の値も表1上段と同様に図4の座標を用いているために左が正、右が負です。
左右にスクロールできます
左側の光彩 | 面光源の反射光 | 右側の光彩 | |
---|---|---|---|
位置 [mm] | 27.5 ⟷ 12.8 > | 12.8 ⟷ 0 | > 0 ⟷ -12.2 |
波長 [nm] | 700(赤) | 400(青紫) | 400(青紫) | 700(赤) |
---|---|---|---|---|
位置 [mm] | 42.6 ⟷ 22.7 | 27.4 ⟷ 12.2 | 0.3 ⟷ -12.2 | -9.3 ⟷ -22.7 |
表1 国宝油滴天目茶碗に写った反射光と光彩と計算によって求めた回折光の位置。
- 上段:国宝油滴天目茶碗の内面に写った面光源の反射光と青色の光彩のy軸上の位置。
- 下段:光源、茶碗、カメラの位置から求めた格子周期900nmのシワによる回折光の図4下段のy軸の位置。
油滴天目茶碗の光彩の見かけの幅が12.8mmの面光源の反射光が0次光(波長によらず同じ方向に進む光。透過型の場合は透過光)となる周期900nm、深さ100nmの2次元のシワによる回折で、400nmの回折光の強度が700nmの約3.5倍とすると次のようになります。図3において面光源の反射光の端(y=12.8とy=0)より波長400nmから徐々に長波長成分が増えて、光彩は青紫色から水色または青緑色に変化し、波長400~700nmの可視光全体のスペクトルが重なる位置(22.7<y<27.4と-12.2<y<-9.3)では光彩は、水色または青緑色を呈すると考えられます。
さらに、その外側では波長400nmから徐々に短波長成分から欠けて、水色または青緑色から緑色、黄色、橙色、そして赤色に変化します。y=42.6とy=-22.7において波長700nmの単色の赤色を呈すると考えられます。面光源の白色LEDは、蛍光物質の励起光源である青色LEDの強いピークが波長450~460nmにあるため、この波長を含む位置の光彩は青味が強くなります。
実際に図3の彩度を上げた油滴天目茶碗の写真では、面光源の反射光の端のy=12.8とy=0から両側に青色から水色、緑色の順に光彩が変化します。その外側(yが27.5以上と-12.2以下)の油滴は縁が緑色、内部が黄色であり、外側ほど黄色の割合が増えます。この現象は油滴の縁と内部でシワの周期が異なる場合に起きると考えられます。
以上のように図1上段右や図3の油滴天目茶碗の光彩は、裏面に金属鉄の反射層がある周期900nm、深さ50~100nmの釉薬の2次元シワ構造による回折光と仮定しても矛盾しません。このことから面光源の反射光の近傍に見られる青紫色の光彩を説明できます。
今後の期待
国宝の曜変天目茶碗や油滴天目茶碗などを、研究者が適切な照明の下で写真撮影や分光計測などを行うことは現時点では困難です。そのために、できることと言えば、先行研究や既存の写真から曜変の光彩を推測するのみです。この作業はパズルを組み立てるように興味深いものです。可能であれば、実物を測定して曜変の光彩の原理を検証することにより、油滴天目や曜変天目茶碗の鑑賞のために最適な照明を提案できるとともに、製作当時の釉薬の配合や焼成方法を解明する糸口になると期待されます。
補足説明
- 1.天目茶碗
天目茶碗とは日本での呼び名で、元は茶葉の産地だった中国浙江省(せっこうしょう)の天目山一帯の寺院で使われていた、黒色鉄釉をかけて焼かれた陶器製の茶碗を鎌倉時代に禅寺天目山で修行をしていた日本人の僧侶が帰国の際に持ち帰ったため、そう呼ばれるようになったといわれている。 - 2.回折格子
ガラス板の表面などに反射率や透過率、屈折率が周期的に変化した格子あるいは、等間隔の細かい溝やノコギリ形状の格子などが形成された光学素子のこと。科学技術や産業分野においては分光計測やレーザのパルス圧縮、光多重通信の合波・分波などに使用される。 - 3.薄膜干渉
光の波長程度の薄い透明な膜の表面と裏面による干渉現象。シャボン玉や水に浮かんだ油膜などで見られる。シャボン玉では膜の厚さと膜の屈折率の積が波長の4分の1の場合に、その波長の光が強め合い、プリズムや回折格子で見られる単色が見られ、波長の半分の場合に、その波長の光の強度が打ち消され、打ち消された波長以外の色(補色)が見られる。レンズなどの表面の反射防止膜は薄膜干渉を応用している。 - 4.彩度
色の鮮やかさを示す尺度で、白や灰色、黒の無彩色が0、一般に純色(単色)が最大値である。色相と明度と共に色の三属性の一つ。色空間の種類によって値が異なる。色空間によっては純色以外で彩度が最大になることがある。 - 5.回折効率の計算
本研究では周期的な構造による光波の振る舞いを扱うことができる電磁気学的な計算手法の厳密結合波解析(RCWA)のソフトウエア(Pythonを使った光電磁場解析、2019年、コロナ社)を使用した。
原論文情報
- 海老塚 昇、岡本隆之, "国宝油滴天目茶碗の光彩に関する一考察", 光学
国宝油滴天目茶碗の光彩に関する一考察
発表者
理化学研究所
光量子工学研究センター 先端光学素子開発チーム
研究員 海老塚 昇(エビヅカ・ノボル)
開拓研究本部 石橋極微デバイス工学研究室
専任研究員(研究当時)岡本 隆之(オカモト・タカユキ)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当
お問い合わせフォーム