阿部知子チームリーダー(TL)は重イオンビームを使った植物や微生物の品種改良のパイオニアです。最近では、静岡県と共同で静岡県名産の温州みかんを品種改良し、果実の収穫時期が遅い新品種「春しずか」を開発。これにより、収穫や出荷などの作業が一時期に集中していた生産農家の負担解消に貢献しました。
阿部 知子(あべ ともこ)
仁科加速器科学研究センター 副センター長
イオン育種研究開発室
生物照射チーム チームリーダー
東北大学大学院農学研究科農学専攻修了後、同大遺伝生態研究センターで日本学術振興会特別研究員。1990年に基礎科学特別研究員として理研入所、2008年から研究室を主宰し、2018年より現職。
生物照射の始まりは花見の宴での一言
阿部TLがポスドクとしてアスパラガスの研究をしていたある春の夜、サイクロトロン研究室(当時)恒例の花見に誘われた。理研構内の桜の木の下で、当時の主任研究員から、がん治療の研究のためにたくさんのネズミに照射していた重イオンビームを「植物に照射してみないか」と勧められた。「面白そうだなと、二つ返事で引き受けました」と阿部TL。当時、重イオンビームを品種改良技術開発の目的で植物に照射し、体系的に研究した例はなかった。
原子核を光速の半分近くまで加速した重イオンビームは、1粒子の破壊力が大きく、遺伝子にピンポイントで変異を起こすことができる。周辺の遺伝子を傷つけないので、成長を妨げることも少ない。加速器では、透過力の強い高速のビームを出せるため、枝などを容器に入れたまま照射できる。阿部TLらの取り組みで、重イオンビームによる変異誘発技術が確立した。
育種を手掛けた静岡県農林技術研究所果樹研究センター果樹生産技術科長 中村茂和さんと。
約20年かけて新品種「春しずか」誕生
これまでに実用化した改良品種は新色のペチュニアや桜など30種以上。静岡県とは、温州みかん「青島温州」の品種改良に2000年から取り組んできた。穂木に重イオンビームを照射し、静岡県農林技術研究所で接ぎ木して育てながら、有用な性質を持つ変異株を選んでいった。
結果、青島温州より収穫時期が1カ月遅い、皮と果肉の間に隙間が空く「浮き皮」が起こりにくいため長期貯蔵が可能といった特長を2018年に最終確認し、新品種が誕生した。「収穫や出荷作業を青島温州とずらすことができるため、生産農家の作業負担を軽減できます。近年マーケットニーズが高まっている3~4月に出荷できることを受け、「春しずか」と命名されました」。ミカンは、苗を植えてから実がなるまでに約5年かかることもあり、2021年、ようやく「春しずか」は新品種として登録出願、公表された。
植物や微生物の育種を目的とした照射件数は年に1,000から2,000。照射を終えた結果待ちの種もたくさんある。照射を担う加速器基盤研究部の福西暢尚副部長は、「最近は、半導体に照射して宇宙空間での耐久性を確認するなど、重イオンビームの応用分野が広がっている。その先駆けが生物照射でした」と話す。
照射する原子核の種類やビームの強さ、照射する種子の状態、サンプルの組織や部位など、変異を誘発しやすい条件についての知見はかなり集積された。一方、生物学的、あるいは物理学的に「変異」がどのような現象なのかはまだ分かっていない点も多い。もともと、「メンデルの法則を知って生物学を志した」と阿部TL。今は、潜性(劣性)と顕性(優性)の変異の違いに注目する。「ゲノムを詳しく解析できるようになったので、顕性になる変異の特徴を解き明かしたい」と興味のタネは尽きないようだ。
(取材・執筆:大岩ゆり/撮影:古末拓也/制作協力:サイテック・コミュニケーションズ)
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