1. Home
  2. 広報活動
  3. クローズアップ科学道
  4. クローズアップ科学道 2023

研究最前線 2023年1月31日

常温で水の核スピンの向きをそろえる

核磁気共鳴分光法(NMR)は医療や化学など、幅広い分野において欠かせない技術です。原子核が持つ「核スピン」という自転のような性質から得られる信号を利用して、物質の分子構造などを観測します。これを医療に応用した磁気共鳴イメージング(MRI)では、体内にある"水"の核スピンの信号を画像化し、脳梗塞やがん細胞を診断します。しかし、核スピンから得られる信号の弱さが課題でした。このような中、MRIの性能向上を図る上で、特に難しいと言われていた、常温での水分子の核スピンの信号強度を高める新たな技術の開発に成功したのが、西山 裕介 ユニットリーダーと立石 健一郎 研究員です。

西山 裕介と立石 健一郎の写真

(右)西山 裕介(ニシヤマ・ユウスケ)科技ハブ産連本部 バトンゾーン研究推進プログラム 理研-JEOL連携センター ナノ結晶解析連携ユニット ユニットリーダー
(左)立石 健一郎(タテイシ・ケンイチロウ)開拓研究本部 上坂スピン・アイソスピン研究室 研究員

核スピンの向きをそろえる「核偏極」

「水の核スピンの信号強度を上げること、それはNMRの研究開発に携わる者にとって究極の目標です」と、二人は言う。

通常、核スピンの回転軸はさまざまな方向を向いているが、NMRでは外部から磁場を加えることで回転軸を同じ向きにそろえ、さらに向きのそろった核スピンに特定の波長のラジオ波を照射することで、核スピンから信号を得ている。この原子核が特定の波長のラジオ波と相互作用する現象を核磁気共鳴という。そしてこの信号は、原子核が置かれている環境によって異なるため、信号を解析することで物質の分子構造などが分かるというわけだ。核スピンの向きを一つにそろえることを「核偏極」という。

NMRでは核偏極の割合(核偏極率)が高いほど性能が向上する。しかし、核偏極率が低いために核スピンから得られる信号が弱いことが長年の課題となっていた。例えば現在、MRIでの水の核偏極率は約0.001%しかない。この割合を高めることができれば、MRI画像の解像度が向上するほか、より短時間での検査が可能になる。

電子スピンの偏極を核スピンに移す

核偏極率を高めるための研究開発は、世界各国で進められてきた。その一つが原子核の周りを回る電子のスピンを利用する「動的核偏極(DNP)」。電子スピンは核スピンよりも回転軸の向きをそろえやすい。そこでまず、電子スピンの向きをそろえ、それを核スピンに移すことによって核偏極率を上げようというものだ。

ところが、DNPは-150℃以下の極低温にする必要があるため、固体の核偏極には使えても液体である水の核偏極には向かず、MRIには使えない。そこで研究グループが取り組んだのが、ナノサイズの有機結晶と「トリプレットDNP」と呼ばれる手法を使った、常温で水の核スピンの向きをそろえる技術の開発だ。

まず、ナノサイズの有機結晶をつくる(図1)。この有機結晶に光を照射すると、有機結晶中の電子スピンの向きがそろう。次に、水を加えた状態で、有機結晶にマイクロ波を照射する。すると、電子スピンの向きがそろった状態が有機結晶中の核スピンに移り、核スピンの向きがそろう。さらに、この状態が有機結晶の表面に存在している水分子の核スピンに移り、水分子の核スピンの向きがそろうのだ(図2)。

ナノサイズの有機結晶の図

図1 ナノサイズの有機結晶

超微細のため、比表面積(単位質量当たりの表面積)が大きい。それにより水との接触面積が大きくなることで、有機結晶の核スピンから水の核スピンへ核偏極を移すことができる。

水の核スピンの発生と測定を行う実験装置の図

図2 水の核スピンの発生と測定を行う実験装置

両側を磁石(赤い部分)で挟んで磁場を発生させた状態で水を含んだ有機結晶にマイクロ波を照射することで、有機結晶の核偏極を水へリレーさせる。本研究は主に九州大学にある同型の装置で行われた。

このように、有機結晶の電子スピンから核スピンへ、さらに水の核スピンへとリレーさせ、最終的に水分子の核スピンの向きをそろえることから、研究グループではこの手法を「核偏極リレー法」と呼んでいる。

ポイントは有機結晶にレーザーとマイクロ波を照射して、核スピンの向きをそろえる「トリプレットDNP」だ。従来のDNPでは-150℃以下の極低温に冷やしていたが、トリプレットDNPでは、極低温に冷やす代わりに、有機結晶にレーザーとマイクロ波を照射することで、有機結晶を冷却するのと同じ状態をつくっている。そのため、常温で水の核スピンの向きをそろえることができるのだ。

水の核偏極率は従来の3倍に

ここで重要な役割を果たしているのが、九州大学大学院 工学研究院の楊井(やない)伸浩 准教授の研究グループが開発したナノサイズの有機結晶だ(図1)。

トリプレットDNPは固体の核偏極を行うための技術であり、立石 研究員はもともとトリプレットDNPの専門家だ。しかし、あるとき、異分野の材料科学者である楊井 准教授から「開発した有機結晶をトリプレットDNPを使って核偏極してほしい。それにより常温で水の核偏極率を高めることができるかもしれない」との相談を受けた。立石 研究員はぜひ協力したいと、二つ返事で快諾した。

「これまで核偏極を固体から固体に移す例は数多くありましたが、固体から液体に移す例は極めて少なかったので、楊井 准教授のユニークなアイデアにワクワクしました。条件を変えながら実験を繰り返した結果、見事に成功。現在のところ、水の核偏極率は従来の約3倍の約0.003%程度ですが、NMRやMRIの性能向上に向けた大きな一歩と捉えています」と立石 研究員。

一方、理研と日本電子株式会社による理研-JEOL連携センターでNMRの研究開発に携わってきた西山 ユニットリーダーは、有機結晶から水に核偏極が移るメカニズムの解明に尽力した。「楊井 准教授は、有機結晶をナノサイズにして水との接触面積を最大限にすることで、核偏極を水分子に移すことができると考えていました。実際、そのもくろみは当たっていましたが、詳しく解析したところ、有機結晶自体が水分子と相互作用しやすい構造をしていることなども分かってきました」と西山 ユニットリーダー。

NMRの研究には複数の分野の研究者が携わっている。分野の違いにより、時には言葉が通じないこともあると笑う二人。謎を解き明かす研究の醍醐味に加えて、その"文化"の違いも面白いと思えるそうだ。

(取材・構成:山田久美/撮影:相澤正。/制作協力:サイテック・コミュニケーションズ)

関連リンク

この記事の評価を5段階でご回答ください

回答ありがとうございました。

Top