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研究最前線 2023年3月9日

マウスクローン技術の実用化に向けた挑戦

クローンヒツジ「ドリー」のことを知っていますか?1996年に英国で誕生したドリーは、世界で初めて体細胞からつくられた哺乳類のクローンです。その誕生からは既に25年が経過していますが、体細胞クローン技術は残念ながらなかなか実用化には結びついていません。井上 貴美子 専任研究員は、マウスを使って体細胞クローン技術の実用化に向けた改良に取り組んでいます。クローン技術の研究は、絶滅危惧種の保存やヒトの不育症の治療などにもつながります。

井上 貴美子の写真

井上 貴美子(イノウエ・キミコ)

バイオリソース研究センター 遺伝工学基盤技術室
専任研究員

貴重なマウスを絶やさないために

「バイオリソース研究センターでは、国内外の研究者が実験に使うマウスの系統を維持しています。体細胞からクローンをつくる技術を貴重なマウス系統の保存に生かしたいと考えて、日々、技術開発を行っています」と、井上 専任研究員。

研究に使われるマウスは、大きく「実験用マウス」と「野生マウス」に分けられる(図1)。実験用マウスは兄妹交配を20世代以上続けてつくる近交系と言われる系統だ。遺伝的な違いがほとんどなくなっているため、個体差が少なく遺伝子の実験などに使いやすい。

一方の野生マウスは、捕獲してきた野生のマウスを実験室で繁殖させて、系統として維持しているものだ。遺伝的な個体差があるものの、例えば、がんや肥満になりにくいといった実験用マウスにはない独自の特徴を持っている。「野生マウスは未解明の遺伝子を秘めているという点で、実験材料としてとても魅力的です」

実験用マウスと野生マウスの写真

図1 実験用マウスと野生マウス

左はいろいろな実験用マウス系統、実験の目的に応じて使い分ける。右は静岡県の三島で捕獲されたマウス(MSM/Ms)を元に作られた野生マウス系統。一見似ているが、野生マウスの飼育と維持はより難しい。

血液からクローンをつくれる世界唯一の研究室

野生マウスの中には繁殖が難しく、維持しにくい系統もある。そんなときに有効なのが体細胞クローンの作製技術だ。井上 専任研究員らはこれまでにいろいろな血液細胞からクローンをつくることに成功している。「血液であれば、ほんの一滴あればいいので、数が少ない貴重な野生マウスからでも個体を生かしたまま繰り返し採取できます」。クローン作製に適した細胞である白血球を選別する技術などが必要となるため、血液からのクローンは今も理研の遺伝工学基盤技術室でしか作製できていない。

白血球からクローンをつくることのメリットはそれだけではない。たとえば特定の抗原に反応する白血球をもとにクローンをつくれば、全身に特定のアレルギーを持つマウスとなる。「ヒトの感染症に反応するマウスをつくることもできるので、医薬品の開発にも役立ちます」

さまざまな用途で有用な体細胞クローン技術だが、実は近交系マウスからは体細胞クローンを安定してつくる技術は確立されていない。「近交系は遺伝子が均一になっているため、クローンをつくろうとしても、発生に必要な遺伝子のいくつかがうまく発現できないと考えられています」。近交系マウスの中にも繁殖が難しい系統があるため、体細胞クローン技術はぜひ活用したいところだ。現在、重要な課題として取り組んでいるという。

胎盤の形成異常の原因を解明

体細胞クローンをつくるには、まず受精していない卵子の核を取り除いて、代わりに体細胞の核を移植する(図2)。そして活性化という処理を行い、"受精したような状態"をつくった上で、代理母のお腹に移植する。受精卵だと錯覚させて、発生を進めようというわけだ。

ところが、本当の受精卵ではないため発生の過程でさまざまな問題が生じる。その一つが胎盤の形成異常だ。「胎盤が通常よりも大きくなってしまうのです。これが起きると、クローン個体の出生率は大幅に低下してしまいます」

井上 専任研究員らは、2020年にその原因となる遺伝子群を突き止め、胎盤の大きさを正常化することに成功している。ただし、胎盤の形成異常に関わる遺伝子はほかにも存在する可能性があり、研究を続けているところだ。

マウス卵子に体細胞の核を移植の図

図2 マウス卵子に体細胞の核を移植

左側の太いガラス管(ホールディングピペット)で卵子を吸引して固定しながら、一連の作業を行う。画像は本来の核を取り除いた卵子に、直径5μmの細いガラス管で体細胞の核を注入している様子。

異種間クローンの成功をはばむものは何か

異なる種の卵子と体細胞を使ってクローンをつくる「異種間クローン」の研究も進めている。異種間の交配(雑種の作製)といえば、ヒョウの父親とライオンの母親から生まれた「レオポン」などが有名だ。異種間クローン技術の場合、卵子と体細胞の動物種が完全に異なるため同種間よりもさらに難しいが、卵子を取ることが難しい動物にも応用できる。そのため、個体数が激減している貴重な種と個体数が多い種との間でのクローン作製も可能となる。絶滅危惧種の維持・保存のために有用な技術なのだ。

異種間クローンは、これまでにウシの仲間やヒツジの仲間、イヌとオオカミなどで成功したことが報告されている。異種といっても、比較的近縁の異種間でないとさすがにクローンは作製できない。また、動物種によっても難易度が違い、げっ歯類では特に難しい。

野生マウスを使って世界初のげっ歯類異種間クローンの作製を目指しているが、まだ成功には至っていないという。「核移植した卵子をつくっても、2細胞に分裂したところで発生が止まってしまうんです。そこから4細胞に分裂するための何らかの遺伝的な"スイッチ"があるはずなので、今はそれを探しています」

マウスの胚が中心の研究生活

研究のスケジュールは、マウスの胚を操作する実験や出産の日程を中心に組まれている。そのため、帰宅して家族と一緒に夕食を済ませてから、再び研究室に戻って作業の続きを行わなければならないこともある。また、マウスが病気に感染する可能性を避けるため、ペットショップなど、研究室の外でげっ歯類に触れないように注意を払っている。子どもにハムスターを飼いたいとねだられても、泣く泣く諦めてもらっているそうだ。

体細胞クローン技術の応用分野は、マウスの系統維持だけではない。クローンの研究は、受精卵が発生する仕組みを解き明かすことでもあるため、ヒトの不育症の原因解明などにもつながる。「ヒトでも胎盤の形成異常が発生することがありますが、その原因はよく分かっていません。マウスなどで得られた情報は、そのような病気の解明にきっと役立つと思います」

(取材・構成:福田伊佐央/撮影:相澤正。/制作協力:サイテック・コミュニケーションズ)

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