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研究最前線 2024年3月1日

論理的思考力が高まる「グラフ文書」の可能性

「グラフ」と聞いて何を思い浮かべますか?ここでいうグラフは、棒グラフや円グラフのことではありません。数学の一分野である「グラフ理論」で扱う、ノード(節点)とリンク(結線)からなるデータ構造のことです。そして、このグラフを、従来のテキスト文書に代わる情報伝達の手段として活用しようというのが、「グラフ文書」です。2022年10月から2023年1月にかけて、このグラフ文書を簡単に作成できるソフトウェアを使って、二つの高校で実験を実施。その結果、教員の負担を増すことなくグラフ文書が論理的思考力(批判的思考力)、つまり事実や概念の内容を論理的かつ客観的に把握し操作する能力を高めることを実証しました。グラフ文書の可能性について、橋田 浩一 チームリーダーに聞きました。

橋田 浩一の写真

橋田 浩一(ハシダ・コウイチ)

革新知能総合研究センター 社会における人工知能研究グループ 分散型ビッグデータチーム
チームリーダー

いまだに読解力が育たない理由とは?

本などを読んでいて、因果関係や論理構造が分からず、何度も読み返した経験が誰しもあるだろう。「人類は情報を伝える手段として文書を編み出し、長年にわたって利用してきました。一般の子どもたちに読み書きを教えるという義務教育の歴史は、古代ギリシアにさかのぼります。しかし、2500年以上経った今でも読解力や論理的思考力の低さが問題になるのは、テキスト文書という情報伝達手段が、われわれにとって扱いにくいからではないか。この疑問が研究の出発点でした」。橋田 チームリーダーはこう語る。

そこで、約20年前、橋田 チームリーダーがテキスト文書に代わる情報伝達手段として考案したのが、「グラフ文書」だ(図1)。

ノードとリンクで構成されたグラフ文書の例の図

図1 ノードとリンクで構成されたグラフ文書の例

ソフトウェア「セマンティックエディタ」で作成したグラフ文書の例。テキストを含む長方形がノードで、ノード間をリンクで結んでいる。ノード間の関係を28個のリンクの型(図2)の中から選択できる。

グラフ文書作成を支援するソフトを開発

従来のテキスト文書は因果関係や論理構造が見えづらい。そのため、これまでにもグラフを使って論点を整理したり発想を支援したりする手段として、「マインドマップ」や「KJ法のA型図式」「概念地図」など、いろいろな種類のグラフが提案されてきた。また、このようなグラフを作成することで、論理的思考力が向上することが、これまでの研究によって示されている。

ただし、従来の手法には課題もある。「例えばマインドマップの場合、ノード間の関係が明示されていないため、作成者以外には正確な意味が分かりません。従来のグラフは正式の文書ではなく、あくまでも考えを整理したりするための補助的な資料にすぎないのです」

そこで取り組んだのが、従来の課題を解決するソフトウェア「セマンティックエディタ」の開発だ。ノード間の関係を国際標準化機構(ISO)の国際標準に基づいて策定された28個の中から簡単に選択でき(図2)、用途に合わせて他の関係セットを用いることもできる。これなら文書全体の論理的な構造がつくりやすく、任意のテキスト文書の内容をより分かりやすく表現できる。「このグラフ文書自体を正式な"文書"として作成・編集・活用すれば、教育や業務、研究などにおける文書処理を中心とする知的作業を大幅に効率化できます」

ノード間の関係を表すリンクの型の図

図2 ノード間の関係を表すリンクの型

国際標準化機構(ISO)の国際標準を参考にして定義された28個の関係。グラフ文書のリンクの型として用いることでノード間の関係が図1のように明示できる。日本語に限らず、あらゆる言語に適用でき、人によって表現の仕方が異なることによる齟齬や誤解が発生しづらい。

もちろん、すべてのテキスト文書をグラフ文書に置き換えようとしているわけではない。「当然のことながら、文学作品など芸術的なコンテンツをグラフ文書にするのは無意味です。グラフ文書の対象はあくまでも説明書や論文、契約書のような論理的内容が本質であるコンテンツに限られます」

高校で実証実験

前記のように、グラフの有用性は知られていたものの、これまで教育現場等にグラフは普及していない。その主な理由として、「グラフの作成方法の指導と習得が教員と生徒の大きな負担になる」ことが挙げられる。だが、セマンティックエディタであればその負担を軽減できるのではないか。また、作成が難しいのは複雑なグラフだが、各授業においておおむね30分以内でつくるグラフ文書はあまり複雑化しないだろう。

中学校や高校でさかんに行われているグループディスカッションに着目した橋田 チームリーダーは、生徒がグラフ文書をグループで共同作成する実証実験を考案し、2022年10月から2023年1月にかけて埼玉県の川口市立高校と神奈川県の三浦学苑高校の2校、生徒数合計100余名で実施した。科目は「現代の国語」で、計5回のグループディスカッションの授業。はじめに教員がセマンティックエディタの使い方を教え、各グループの生徒がそれぞれの議論の内容を表すグラフ文書を共同で作成した。

その結果、生徒たちはほとんど戸惑うことなくセマンティックエディタを使いこなすことができたうえ、5回の授業の前後で実施した論理的思考力のテストの成績が、グラフの編集操作が多い生徒ほど大きく伸びていた(平均的な伸び率は3%程度)という。「実際の教育現場で教員の負担を増やすことなく、グラフ文書を通常の授業に導入できて、それが生徒の論理的思考力を高めることが確認されました」。橋田 チームリーダーらは教育現場にグラフ文書を積極的に導入すべきだと考えている。

生成AIの学習にも有用

グラフ文書は、GPTなどの生成AIにも有効と期待できる。生成AIはデータ間の関係性を表すモデルによって言語を生成している。モデルはニューラルネットワークと呼ばれる脳神経回路のような多層構造をしており、ノードとリンクで構成されている。このモデルに大規模なテキスト文書データを読み込ませる深層学習により、生成AIの性能は劇的に向上してきた。「ニューラルネットワークが従来のテキスト文書データの代わりにグラフ文書データを用いて学習し推論することにより、性能がさらに向上すると考えられます」

人々の文書処理の効率向上と、論理的思考力の向上および生成AIの性能向上において効果が期待されるグラフ文書。近い将来、人間同士、また人間とAIとの情報伝達のための新たな手段として定着するかもしれない。

(取材・構成:山田 久美/撮影:相澤 正。/制作協力:サイテック・コミュニケーションズ)

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