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研究最前線 2023年8月4日

がんの治療に新元素合成で貢献

原子番号85のアスタチンは、自然界にはほとんど存在せず、加速器によってつくられた人工の元素です。アスタチンには中性子の数が異なる「同位体」が約40種類知られていますが、すべて放射性の同位体(RI)です。中でもアスタチン-211(211At)は、がん治療に有効なα線と呼ばれる放射線を放出するため、近年、需要が急速に高まっています。しかし、不安定なため短時間のうちに壊変するという問題があり、半減しても十分な放射線を得られる大量生産が期待されていました。仁科加速器科学研究センターにある重イオン加速器施設「RIビームファクトリー(RIBF)」で、211Atを大量に製造する技術開発に成功したのが、核化学研究開発室の羽場 宏光 室長の研究グループです。

羽場 宏光の写真

羽場 宏光(ハバ・ヒロミツ)

仁科加速器科学研究センター 核化学研究開発室 室長

がん治療に需要が高まるアスタチン

がんは、日本人の2人に1人が生涯のうちに罹患するといわれている。医療が進歩する中、近年、抗がん剤をがん細胞のみに選択的に届けるDDS(ドラッグ・デリバリー・システム)薬剤の開発が進んでいる。その一つが、211Atを用いた甲状腺がんや前立腺がんに対するDDS薬剤で、211Atが放出するα線を使ってがん細胞のみを効率的に殺傷する。211Atの需要が増す中、羽場 室長の研究グループは、RIBFの重イオン加速器を用いて211Atを大量かつ安定に製造する技術を開発。2020年2月、その業績によって第2回日本オープンイノベーション大賞 日本学術会議会長賞、2023年4月、科学技術分野の文部科学大臣表彰 科学技術賞を受賞した。

国内での製造が必須の元素

α線を放出する放射性元素には他にもウランやトリウムがある。しかし、いずれも核燃料物質として取り扱いが厳しく制限されている。それに比べ、211Atは取り扱いが容易であるだけでなく、加速器を用いてビスマスにヘリウムのイオンビームを照射し、二つの元素を融合するというシンプルな工程で製造できる。

「ビスマスは天然に豊富に存在する元素なので、入手に困ることはありません。ただ、211Atはα線を放出して別の元素に壊変し、7.2時間たつと半分の量になってしまいます。DDS薬剤として利用するには、国内での製造が必須です」

実は、211Atの国内製造は大阪大学や放射線医学総合研究所(現・量子科学技術研究開発機構 量子生命・医学部門)が先行して進めていた。しかし、加速器の更新などにより供給が途絶えるリスクがあるため、国内に安定した供給ネットワークを構築することが求められた。そこで、2015年に羽場 室長らも211Atの製造に着手したのだ。

大量かつ安定に製造できる技術

特に注力したのは、211Atを大量かつ安定に製造する技術の開発だ。前述したように、半減期の短さから医療現場の近くで製造する必要があると考えられていたが、大量に用意できれば遠隔地に運ぶ間に半減してしまっても治療に十分な放射線量を確保できる。そうなれば供給範囲も広がり、より多くの患者への投与が可能となる。

211Atを大量に製造するには、より高強度のヘリウムのビームをビスマスに照射する必要がありました。しかし、金属ビスマスは融点が約271℃と低いため、高強度のビームを照射するとすぐに融けてしまい、211Atができないというジレンマに直面しました」

そこで、羽場 室長らは、水とヘリウムを使ってビスマスを効率よく冷却しながら高強度のビームを照射する装置(図1)を開発した。それにより、ビスマスの融解を抑えることができ、211Atの大量製造を成功させたのだ。

水・ヘリウム冷却式標的照射装置の図

図1 水・ヘリウム冷却式標的照射装置

ビスマスの面を斜め15°にして冷却面積を増やし、さらにビーム軸を回転させることで高強度のビームによるビスマスの融解を抑制する。生成した211Atは、別途開発した化学分離装置を用いて取り出す。

「理研の加速器は、1937年に仁科 芳雄 先生がアメリカに次いで開発に成功して以来、80年以上にわたる長い歴史を持っています。今回の成功も長年にわたり蓄積されてきた高い技術力や知識、ノウハウがあってこその成果です」

現在、RIBFで大量に製造した211Atは、大阪大学 医学部附属病院や国立がん研究センターなどに安定的に供給されている。大阪大学では、その211Atを使い、2021年に甲状腺がん、翌年には前立腺がんに対するDDS薬剤の開発に相次いで成功した。現在、前者は治験の段階で、医薬品としての早期実用化が待たれている。

医療応用に向けた新たな元素を

現在、羽場 室長らは、211Atに次ぐα線を放出する元素として、アクチニウム-225(225Ac)の製造にも着手している。

225Acは211Atと全く異なる化学的性質をもっています。そのため、つくることができるDDS薬剤が異なり、半減期も約10日間と211Atに比べれば長いことから、病巣にゆっくり集積する薬剤の開発において有効だと考えられます」

近年、欧米を中心に225Acを使ったDDS薬剤の開発が盛んに進められており、世界的に需要が高まっている。それに伴い、海外から日本への輸出量が激減しており、225Acも日本での製造が必須なのだ。

「今後も、仁科加速器科学研究センターが掲げる基礎研究と応用研究による社会貢献という目標のもと、『ニホニウムに続く新元素の発見からがん治療まで』をスローガンに研究開発にまい進します」

(取材・構成:山田 久美/撮影:相澤 正。/制作協力:サイテック・コミュニケーションズ)

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